る。……追い詰めたあげくどうするか? さあそのあげくどうするか?」
云い云い陣十郎は言葉通り、左足を進め左足を進め、一歩一歩ジリリ、ジリリと、主水を薮の方へ追い詰めて行った。
主水は次第に後へ下った。
飛び込もうとしても飛び込めず、切りかかろうとしても切りかかれない。
業の相違、伎倆《うで》の差違、段違いの悲しさは、どうすることも出来ないのであった。
8
追い詰められながらも妹のことを、主水は暇なく思っていた。
多勢に一人、しかも女、どうしただろうどうしただろう? ……叫声がする! 悲鳴が聞こえる! ……殺されたのではあるまいか? ……背後《うしろ》は大薮、それに遮られて、俺の姿は見えないはずだ。案じていよう悶えていよう。……
上段に冠っていた陣十郎の刀が、忽然中段に直ったのは、主水が全く薮の裾に追い詰められた時であった。
「さあ追い詰めた! さてこれから……」
陣十郎はまた喋舌り出した。
「退くことはなるまい、切り込んで来い、親の敵のこの拙者だ、さあ討ち取れ、切り込んで来い!」
主水の咽喉へ切先を差しつけ、左の拳を丹田より上、三寸の辺りにぴたりとつけ、しかも腹部より二握りを距て、刀を構えて静まり返り、今度こそ切るぞ! からかう[#「からかう」に傍点]のは止めだ! こう決心をしたらしく、肺腑を抉るような鋭い眼で、主水の眼を睨み詰めた。
切先と眼とに圧せられ、主水はさながら蛇に魅入られた蛙、それかのように居縮んでしまった。同じく中段に構えていたが、刀身が次第に顫えを帯び、下へ下へと下ろうとする。ハッハッと呼吸が忙《せわ》しくなり、睨んでいる眼が霞もうとする。流るるは汗! 上るは血液!
と、フーッと主水の精神が、体から外へ脱けるように思われ、心がにわかに恍惚《うっとり》となった。気負けの極に起こるところの、気死の手前の状態であった。
が、その時陣十郎の刀が、さながら水の引くがように、スーッと静かに冷たく、左の方へ斜に引かれた。
あぶない! 悪剣だ! 「逆ノ車」だ! 剣豪秋山要介さえ[#「さえ」は底本では「さへ」]、破りかねると嘆息した、陣十郎独得の「逆ノ車」だ! その序の業だ! あぶないあぶない! 釣り出されて踏み込んで行ったが最後刀が車に返って来る! が、それも序の釣手だ! その次に行なわれる大下手切り! こいつだけは受けられない、ダーッとドップリ胴へ入るだろう! と、完全の胴輪切り!
その序の業が行なわれた。
釣られた釣られた主水は釣られた! あッ、踏み出して切り込んだ。
一閃!
返った!
陣十郎の刀が、軽く宙で車に返った!
ハ――ッと主水! きわどく反わせたが……
駄目だ!
見よ!
次の瞬間!
さながら怒濤の寄せるが如く、刀を返しての大下手切りだ――ッ!
「ワッ」
悲鳴!
血煙!
血煙!
いやその間に、一髪の間に――大下手切りの行なわれる、前一髪の際どい間に……
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]秩父の郡《こおり》、小川村、
逸見《へんみ》様庭の桧の根
[#ここで字下げ終わり]
そういう女の歌声が、手近かの所から聞こえてきた。
「あッ」と陣十郎は刀を引き、タジタジ[#「タジタジ」は底本では「タヂタヂ」]と数歩背後へ下った。
9
無心に歌をうたいながら、源女は大薮の中にいた。
いつも時々起こる発作が、昨夜源女の身に起こった。そこでほとんど夢遊病患者のように、赤尾村の林蔵の家を脱け出し、どこをどう歩いたか自分でも知らず、この辺りまで彷徨《さまよ》って来、この大薮で一夜を明かし、たった今眼醒めたところであった。
まだ彼女の精神は、朦朧としていて正気ではなかった。
島田の髷が崩れ傾《かしが》り、細い白い頸《うなじ》にかかってい、友禅模様の派手な衣裳が、紫地の博多の帯ともども、着崩れて痛々しい。素足に赤い鼻緒の草履を、片っぽだけ突っかけている。夜露に濡れたため衣裳はしおたれ[#「しおたれ」に傍点]、茨や木の枝にところどころ裂かれ、手足も胸元も薮蚊に刺され、あちこち血さえ出していた。
そういう源女は身を横倒しにし、草の上に延びていた。秋草の花――桔梗や女郎花や、葛の花などが寝ている源女の、枕元や足下に咲いていた。栗色の兎がずっと離れた、萩の根元に一匹いて、源女の方を窺っていた。
彼女の頭上にあるものといえば、樺や、柏や、櫟《くぬぎ》や、櫨《はぜ》などの、灌木や喬木の枝や葉であり、それらに取り縋り巻いている、山葡萄や蔦や葛であり、そうしてそれらの緑を貫き、わずかに幽かに隙《す》けて見える、朝の晴れた空であった。
薮を透して日の光が、深い黄味を帯びて射し込んで来ていて、地上の草や周囲《まわり》の木々へ、明暗の斑《ふち》を織っていた。
無心――という
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