縁、ご安心なされ! それに致してもこの有様は?」
「は、はい、有難う存じます。ご恩は海山! ご恩は海山! ……お兄イ様ア――ッ」とまたも呼んだ。
「お兄イ様とな? 主水殿か? ……その主水殿、如何《いかが》なされた?」
「敵《かたき》……父上の……父上の敵……陣十郎に巡り逢い……切り合う間に兄上には、陣十郎に誘き出され! ……向こうへ、向こうへ、向こうへ行き……そのまま姿が見えずなり……お兄イ様ア――ッ」とまたも呼び、再び気絶したらしく、ぐったりとなりもたれ[#「もたれ」に傍点]かかった。
「おおそうか、さてはお二人、兄妹お二人敵討ちの旅に、お出でなされたと伝聞したが、その敵の水品陣十郎に、おおそうか、さてはここで、お出逢いなされて切り合ったのか。……それにしても無双の悪剣の使手、陣十郎と太刀打ちしては、主水殿に勝目はない。……その陣十郎に誘き出された? ……一大事! 捨てては置けぬ! ……とは云えどこへ? どこへ主水殿は?」
向こうへ向こうへと云ったばかりで、どの方角へ行ったとも云わず、再度澄江は気絶してしまった。
「どこへ? どっちへ? 主水殿は?」
「杉さん……てっきり……高萩村だア!」
それまで側《そば》に佇んで、気を揉んでいた藤作が叫んだ。
「このお女中を引っ担ぎ、連れて行こうとしたからにゃア、先刻《さっき》の奴らァ陣十郎とかいう、悪侍の一味でごわしょう。その先刻の奴らといえば、高萩村の猪之の乾兒で。ですから恐らく陣十郎って奴も猪之の家にいるのでござんしょう。ということであってみれば陣十郎とかいう悪侍、主水様とかいうお侍さんを、高萩村の方角へ……」
「いい考え、そうだろう。……では拙者はその方角へ……藤作殿頼む、澄江殿の介抱! ……」
「合点、ようがす、貴郎は早く……」
「うむ」と云うと股立取り上げ、大小の鍔際束に掴み、大薮のある方角とは、筋違いの方角高萩村の方へ、浪之助は耕地の土を蹴り、走った、走った一散に走った。
この時上尾宿の方角から、馬大尽を迎えに出、慰労とあって猪之松により、乾兒共々上尾宿の、山城屋で猪之松に振舞われ、少し遅れてその山城屋を出た、高萩村に属している、四人の博労が酔いの覚めない足で、機嫌よくフラフラと歩いて来た。
7
それへぶつかっ[#「ぶつかっ」に傍点]たのは八五郎であった。
浪之助のために威嚇され、盲目滅法に逃げて来た、猪之松の乾兒の八五郎であった。
「いい所で逢った、さあ頼む。……事情は後でゆっくり話す。……今は頼む、加勢頼む。……玉を……女だ……女を一人……担いで行くんだ、一緒に来てくれ」
息せき[#「せき」に傍点]喋舌《しゃべ》る八五郎の言葉に、猟り立てられた四人の博労は、
「ようがす、やりやしょう、合点だ! ……誘拐《かどわかし》と来ちゃアこっちの領分、まして高萩のお身内衆のお頼み恐れるところはありゃアしねえ。それ行け、ワ――ッ」と走り出した。
来て見れば先刻の侍は居らずに、藤作一人が途方に暮れたように、気絶している女の周囲を、独楽のようにグルグル廻っていた。
そこへ押し寄せた五人の同勢、
「この女だ、それ担げ!」
ムラムラと寄ったのに驚いた藤作、
「こいつらア……馬方め……八五郎もか! ……また来やがったか、汝《おのれ》懲りずに」
喚いて脇差を引っこ抜き、振り舞わしたが多勢に無勢、すぐに脇差は叩き落とされ、それに博労の喧嘩上手、土を掬うとぶっ[#「ぶっ」に傍点]掛けた。
口に入り眼に入った。
「ワ――ッ、畜生! 眼潰しとは卑怯な」
倒れて這い廻る藤作を蹴り退け、澄江を担いで五人の者は、耕地を横切り、丘、森、林、畦や小川を飛び越え躍り越え、どことも知れず走り去った。
大薮の陰に刀を構え、睨み合っている陣十郎と主水、二人の構えには変わりはなかった。
上段に振り冠った陣十郎は、その刀を揺すぶり揺すぶり、命の遣り取りのこの際にも、大胆不敵悠々寛々一面相手の心を乱し、あせらせ[#「あせらせ」に傍点]焦心《じら》せ怒らせようと、憎々しく毒々しく喋舌りつづけた。
「さあさあ主水切り込んで来い。籠手を打て、右籠手を! と拙者は引っ外し、大きく右足を踏み出して、貴様の肩を叩き割る。……それとも諸手に力を集め、胸元へ突を入れて来てもいい。と拙者はあやなし[#「あやなし」に傍点]て反わし、あべこべに貴様の咽喉を刺す……が、貴様も多少はできる腕、思うにその時右足を引き、拙者の切先を右に抑え、更に左足を引くと共に、又切先を右に抑えよう。アッハハハ、畳水練、道場ばかりで試合をし、真に人間を殺したことのない、貴様如き惰弱の武士の、やり口といえば先ずそうだ。……そこで拙者はどうするか? ナーニそのつど逆を取り、左足を進め右足を進め、位詰めにしてグングン進み、貴様を追い詰め追い詰め
前へ
次へ
全86ページ中23ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング