の心の中には、自分達二人は許婚《いいなずけ》である、良人《おっと》となるべき主水が旅へ出、敵を捜索するとなれば、幾年かかるかわからない、その間寂しい家に籠って、イライラして帰りを待っているより、自分も未熟とはいいながら、田宮流小太刀の教授を受け、その方では目録を取っている、まんざら迷惑の足手まといとはなるまい、その上殺されたお父様は、義理深い養父であり、かつは舅父《しゅうと》となる人であった、実の父親へ尽くすよりも、もっと尽くさなければならないお方だ、そのお方が一半は妾のために、あのような御最期をお遂げになった、どうでも自分としては敵を討ちたい、それにお母様は数年前に死なれ、残って孝養する必要はない、かたがたどうでも主水と一緒に、旅へ出たいという考えが、濃く強くあるのであった。
主水としても拒絶はしたものの、実は一緒に旅へ出てもよい、なろうことなら一緒に行きたいと、そう思っているのであった。行く行くは夫婦になる二人である、その一人を家へ残して置いて、帰期の知れない旅へ出る、幸い敵に巡り合っても、返り討ちにならないものでもない、そういう旅へ出て行くことは、心にかかる限りである。二人一緒に行ったなら、苦しい時にも悲しい時にも、分け合って慰め合えるではないか。足手まといになるどころか、妹は小太刀ではかなりの使い手、現にあの夜あんな場合に、簪を抜いて男の急所、陣十郎の足の甲を突いて、急難を免がれたほどである。敵陣十郎はどうかというに、甲源一刀流では剣鬼のような使い手、自分のように新影流で、ようやく仮免許を受けたような者とは、段違いの名人である。自分一人では討つに難い、せめて妹が側《そば》にあれば――だから一緒に旅に行きたい、そう願っているのであったが、一藩の者からうしろ指をさされ、あれ見よ鴫澤主水こそは、親の敵を一人では討てず、女手を借りたわと云われることが、心外なことに思われて、断行することが出来なくなったのであった。
「主君《との》の内意をお伺いして」
よし[#「よし」に傍点]と云ったら連れて行こう。こう不図《ふと》主水は考えつき、上役を介して伺いを立てた。
と、主君が仰せられた。
「親の敵を二人の子が討つ、しかも一人は女とのこと、健気である。仕《つかまつ》れ。聞けば澄江は小太刀を使うとのこと、足手まといなどにはならぬであろう」
さらに奥方よりは澄江に対して、守袋と金一封をさえ、使者《つかい》を以て下された。
上々吉の首尾であった。
こうして二人は旅へ出た。
先ず甲州へ出かけて行った。
と云うのは陣十郎は寄食している間、過去に悪事でも犯しているためか、その過去について語ろうとせず、訊いても言葉を濁らせて、真相《まこと》らしいことは云わなかったが、しかし鴫澤家に寄食する直前、甲州辺りの博徒の家に、賭場防ぎ即ち用心棒として、世話になっていたということを、問わず語りに語ったことがあった。
雲を掴むような洵《まこと》にあやふや[#「あやふや」に傍点]な、あて[#「あて」に傍点]にならないあて[#「あて」に傍点]であったが、その他には探すあて[#「あて」に傍点]が無かったので、二人――主水と澄江との二人は、ともかくも甲州へ行くことにした。
さて甲州へ行って尋ねたところ、栗原宿の博徒の親分、紋兵衛という老人が、二人にとってはかなり為になる、耳寄の話を話してくれた。
3
「お妻とかいう変な女を連れて、水品先生には三月ほど前に、たしかにこの地へ参られましたが、何と思ったか武州方面へ向け、すぐに出発なさいましたよ。あの人とくると武州方面にも、贔屓にしている親分さんが、相当たくさんありますし、あの人の剣術の先生という人が、有名な小川の逸見《へんみ》多四郎様なので、旁々《かたがた》あちらへ参られたのでしょうよ」
これが紋兵衛の言葉であった。
(甲源一刀流では宗家ともいうべき、逸見多四郎先生が、さては陣十郎の師匠だったのか)
そう思って主水はヒヤリとした。
(ではその逸見先生の屋敷に、ひそかにかくまわれ[#「かくまわれ」に傍点]ているかもしれない)
そこで主水と澄江の二人は、武州をさして旅をつづけ、今や上尾宿《あげおしゅく》まで来たのであった。
江戸はほんの眼の先にあり、自分の屋敷も眼の先にあったが、敵の居場所さえ突き止めない先に、まさか屋敷へも立寄られない。こう思って二人は江戸入りさえ避けて、すぐに上尾宿へ来たのであった。
「お早いお着きで。……いらっしゃいまし」
女中に案内されて上ったのは桔梗屋という旅籠屋《はたごや》であった。
逸見家のある小川宿へ向け、実はすぐにも行きたいのであったが、うかうか行って陣十郎のためにもしも姿を見付けられたら、返り討ちに逢わないものでもないと、そんなように心配もされたので、まだ日は相当
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