高かったが、この宿へ足を止めたのであった。
往来に向いた部屋へ通された。
旅装を解いて先ずくつろぎ、出された茶で口を濡らしている時、
「馬大尽がお通りになる」と口々に囃す声が聞こえてきた。
(馬大尽とは何だろう?)
こう思って主水は障子を開け、――部屋は二階にあったので、欄干越しに往来を見た。
一挺の駕籠《かご》を取り巻いて、博徒らしい五人の荒くれ男と、博労らしい四人の男とが、傍若無人に肩で風切り、往来の左右に佇んで、一種怖そうに一種好奇的に、この一団を眺めながら、噂している宿の人々の前を、東の方へ通って行くのが見られた。
と、その中に深編笠をかむり、黒塗りの大小を閂《かんぬき》に差し、無紋の羽織を一着した、浪人らしい一人の武士が、警護するように駕籠に引添い、悠々とした足どりで歩いていた。
(はてな?)と主水は眼を見張った。
(陣十郎に似ているようだが?)
笠をかむっているので顔は見えず、そう思った時には通り過ぎていて、背後《うしろ》姿しか見えなかったので、確めることは出来なかったが、気にかかってならなかった。
「澄江、おいで、あれをご覧」
「はい、何でございますか」
脱ぎすてた衣装を畳んでいた澄江は、そう云い云い立って来た。
「あれをご覧、あそこへ行く武士を。……あ、いけない、曲がってしまった」
さよう、その時その一団は、行手にあった四辻を、左の方へ曲がってしまった。
「お兄様、何なのでございますか?」
「わしの眼違いかも知れないが、陣十郎に似た浪人らしい武士が……」
「まあ」と澄江は眼を据えた。
4
「通って行ったとおっしゃいますので?」
「博徒と博労らしい一団が、駕籠を護って通って行ったが、その中にその武士がまじっていたのだ」
「ではちょっとわたしが行って、陣十郎かそうでないかを……」
「待て待て」と立ち上る澄江を制し、主水は思慮深く考え考え、
「陣十郎も敵待つ身、油断があろうとは思われぬ。あべこべに其方《そち》の姿を見付け、悪剣を揮わぬとも限らない。……もし彼がまこと陣十郎としても、見受けたところ博徒の輩の、賭場防ぎの用心棒として、住み付いている身の上らしく、さすれば今日や明日の中に、この地を去るものとも思われない。……馬大尽とは何者か、先刻《さっき》の一団は何者か、その辺りのことから十分に探って、その上で事に取りかかった方が、安全のように思われる」
こう云って澄江を動かさなかった。
夕食の膳の引かれた頃、番頭が挨拶に顔を出した。
「ちと物をたずねたいが」主水は早速話しかけた。
「へい、何でございますか」
「馬大尽とは何者かな?」
「馬大尽でございますか」
「馬大尽じゃと囃されて行った様だが、彼は一体何者かな?」
「木曽の大金持でございます」
「木曽の金持? 信州木曽のか?」
「へい左様でございます。信州木曽谷福島宿の奥所、西野郷に住居いたします。馬持大尽様にございます」
「馬持大尽? ははあ馬持の?」
「五百頭どころか一千頭にも及ぶ、たくさんの木曽駒《きそごま》をお持ちになって居られる、大金持の旦那様なので……お駕籠に乗って居られましたのが、その旦那様なのでございます」
「馬持の大尽様だから馬大尽?」
「へい、さようでございます」
「訳を聞いてみると不思議ではないな」
「へい、さようでございますとも」
「博徒風の男が五人ばかり、駕籠に附き添って行ったようだが……」
「高萩村の猪之松親分から、迎え出ました乾分《こぶん》衆で」
「高萩の猪之松? 博徒の頭か?」
「へい左様でございます。……赤尾村の林蔵親分か、高萩村の猪之松親分かと、並び称され居ります大親分で」
「それにしても木曽の馬大尽が、武州の博徒などと親しいとは?」
「それには訳がございます。……ご承知のこととは存じますが、木曽福島には毎年|半夏至《はんげし》の候、大馬市がございまして、諸国から馬持や博労が集まり、いくらとも知れないたくさんの馬の、売買や交換が行なわれ、大賑《おおにぎわ》いをいたします」
「木曽の馬市なら存じて居る。日本的に有名じゃ」
「荒っぽい大金の遣り取りが行なわれますのでございます」
「もちろんそれはそうだろうな」
「そこを目掛けて諸国の親分衆が、身内や乾児衆を大勢引連れ、千両箱や駒箱を担ぎ、景気よく乗り込んで行きまして、各自《めいめい》の持場に小屋掛けをしまして、大きな盆を敷きますので」
「つまり何だな博奕をやるのだな」
「へい左様でございます。その豪勢さ景気よさ、大相もないそうでございます」
5
「賭場をひらくとは怪しからんではないか」
「などと仰せられても福島の賭場、甲州|身延山御会式賭場《みのぶさんおんえしきとば》と一緒に、日本における二大賭場と申し天下御免なのでございますよ」
「ふうんそうか、豪勢なものだな」
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