て来た。
「向こうだ」
「いや、こっちでござろう」
 四方の露地や小路に駆け込み、あそこかここかと探し廻った。
 次から次、屋敷から屋敷へと、この騒動はすぐに伝波し、家中の武士、夜廻りの者、若党、仲間などが獲物を携え、ここの一画を包囲して、陣十郎を狩り立てた。


 向こうでも人声がし、こちらでも人声がした。疑心暗鬼から味方同志を、敵と間違え声を上げたり、「居たぞ」と叫んで追って行き、それが知り合いの同僚だったので、ドッと笑う声がした。
 いつの間にか敵は一人ではなく、大勢であるように誤伝されたらしく、あそこの露路に五人居ましたぞ、勘兵衛殿のお長屋の塀に添って、三人抜刀して居りましたぞなどと、不安そうに云い合ったりした。
 辻を人影の走って行くのが見えたり、屋敷の庭の松の木などに登って、様子を窺っている人影なども見えた。
 と一つの人影が、月光を避けて家の塀の陰を、それからそれと伝わって、この一画から遁れ出て、下谷《したや》の方へ行こうとするらしく、ぞろぞろと歩いて行くのが見えた。
 ほかならぬ水品陣十郎であった。
 髻《もとどり》が千切れてバラバラになった髪を、かき上げもせず額にかけ、庄右衛門を切った血刀を、袖の下へ隠しながら、跣足《はだし》のままで歩いていた。
 辻を左へ曲がった途端、
「出た――」
「やれ!」
 剣光! 足音!
 五人の武士が殺到して来た。
「…………」
 無言でサ――ッ。
「ギャ――ッ」
「ワッ」
 仆れた。
 生死は知らず二人の武士は仆れ、三人の武士は一散に逃げた。
 そうしてここの地点から、陣十郎の姿も消えていて、霜の下りたような月光の中に、のたうっている二人の負傷者《ておい》が、地面を延びつ縮みつしていた。
 中山右近次と伊丹佐重郎、その両家に挟まれた、黒《くろ》い細い露路の中を、この頃陣十郎は歩いていた。
 さすがの彼も疲労したらしく、時々よろめいたり立ち止まったりした。
 丁字形の辻へ出た。
 左右前後をうかがってから、右の方へ歩いて行った。
 と、一人の夜廻りらしい男が、六尺棒をひっさげて、石材の積んである暗い陰から、鷺足をして忍び出て、陣十郎の後を追った。
 足を払おうとしたのであろう、そろそろと六尺棒を横に構え、膝を折り敷くとヒュ――ッと、一揮! 瞬間にもう一つの人影が、これは材木の立てかけてある陰から、小鬼のように躍り出た。
「ワッ」
 クルクルと六尺棒が、宙に刎ね上って旋回し、夜廻りは足を空にして、丸太のようにぶっ仆れた。
 陣十郎ははじめて驚き、前へ二間ほど速《そく》に飛び、そこでヒラリと振り返って見た。
 一人の男が地に仆れてい、その傍らに一人の女が、血にぬれた匕首《あいくち》を片手に持ち、片手で衣装の裾をかかげ、月光に白々と顔を浮かせ、その顔を気味悪く微笑させ、陣十郎の方を見詰めていた。
「陣十郎さん、あぶなかったねえ」
「誰だ。……や、貴様はお妻」
「情婦《いろ》を忘れちゃ仕方がないよ」
「うむ。……しかし……どうしたんだ」
「そいつアこっちで云うことさ。……一体こいつアどうしたんだえ」
「どうしたと云って……やり損なったのよ」
「そうらしいね、そうらしいよ。……それにしてもヤキが廻ったねえ」

10[#「10」は縦中横]
「ヤキが廻ったと、莫迦を云うな、人間時々しくじることもある。……それはそうとお前はどうして?」
「ここへ来たかというのかえ。……下谷の常磐《ときわ》で待ち合わそうと、お前と約束はしたけれど、気になったので見に来ると……」
「この騒動で驚いたか」
「それで物陰にかくれていると、この夜廻りが六尺棒でお前の足を払おうとしたので……」
「飛び出してグッサリ横ッ腹をか」
「とんだ殺生をしてしまったのさ」
「お蔭で俺は助かった」
「わたしゃアお前の命の恩人、これから粗末にしなさんな」
「と早速恩にかけか」
「かけてもよかろう礼を云いな」
「いずれゆっくりと云うとしよう」
「そのゆっくりが不可《いけ》ないねえ」
「そうだ、ゆっくりは禁物だ。……どうともして早くここを遁れ。……しかし八方取りまかれてしまった」
「いいことがある、姿を変えな」
「姿を変えろ? どうするのだ?」
「夜廻りの野郎の衣装を剥ぎ……」
「成程こいつア妙案だ」
 物陰にズルズルと夜廻りの躰を、陣十郎は引っ込んで、自分も物陰へ隠れたが、出て来た時には陣十郎の姿は、武士から夜廻りに変わっていた。大小は脇腹へ呑んだと見え、鍔の形だけふくらんで見えた。
「さてこうやって頬冠りをし、お前という女と手を取り合ったら、ドサクサまぎれの駈落者と、こう見られまいものでもないの」
「あたしゃアちょっと役不足さ」
「贅を云うな。……さあ行こう」
 歩き出したところへ四五人の武士が、警《いまし》め合いながら近寄って来た。

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