はいささかの縁辺《しるべ》、最近我が家の寄宿者《かかりうど》となり、我等養い居りましたるところ、わずかのことよりたった今し方、われらが父庄右衛門を殺し、ご覧のとおり妹を誘拐《かどわか》し、遁れようといたし居りまする。承わりますればご貴殿には、ご高名の秋山先生との御事、助太刀お願いいたしまする」
「心得てござる」と要介は云った。
「そうなくとも水品陣十郎に対し、拙者従来確執ござる。討って取らねばならぬ奴、まして貴殿ご兄妹の敵《かたき》とありましては、いよいよもって見遁し難い。……助太刀たしかに承知いたした。……貴殿そなたより切ってかかられよ。拙者組み止めお引き渡す。……浪之助殿、貴殿も共々」
「承知しました」と浪之助も云って、本来は小胆である彼ではあったが、傍らには要介が居ることではあり、そうでなくてもこういう場に臨めば、そこは武士で義侠の血も湧き、勇気も勃然と起こるものであり、やにわに刀を引き抜いた。
 腹背敵を受けたばかりか、その中の一人は剣聖ともいうべき、秋山要介正勝であった。剣鬼のような水品陣十郎も、進退|谷《きわ》まったと知ったらしい、突立ったまま居縮んだが、抱えていた澄江を地へ下すと、肩を片足でグッと踏みつけ、大上段に刀を振り冠り、
「秋山氏か、久々に御意得た。いかにも貴殿の云われるとおり、拙者と貴殿とは敵《かたき》同志、と云うよりも競争相手、討つか討たれるか行く道は一つ、しょせんは命の遣り取りする間、ここで逢ったも因縁でござろう、勝負承知、逃げ隠れはしない。……主水、主水、鴫澤主水、汝《おのれ》に対しても云い分はない、いかにもこの方汝の父親、庄右衛門を武士の意地で、今し方切ってすてたは確かだ、親の敵に相違ない善悪正邪を論じたなら、五分の理屈はこっちにもある。が、云うまい理屈は嫌いだ! 悪人に徹底しようぞ。ワッハッハッ、拙者は悪人! 悪人なるが故に義理はいらぬ。そこで恋しい女があれば、理不尽であろうと奪って逃げる。そこで澄江を奪ったのよ。悪人であれば人情は無益、こっちの命のあぶない瀬戸際、そうなっては恋女も情婦もない、人質、人楯、生ける贄《にえ》、土足にかけてこの有様だ! かかれ秋山、かかれ主水!、一寸と動かば振り冠った刀、澄江の上に落ちかかるぞよ!」
 悪人の本性を如実に現わし、左右に向かってこう喚くや、月光にドギツク振り冠った刀を、上げつ下げつ切る真似をして、陣十郎は心よげに笑った。
 切歯はしたが澄江の命があぶない、要介も主水もかかりかね、足ずりをして躊躇《ためら》った。


 が、その時澄江が叫んだ。
「躊躇はご無用|妾《わたし》を殺して、陣十郎をお討取り下さりませ。……まずこの如く!」と繊手《せんしゅ》を揮った。
「ワッ」と陣十郎が途端に叫び、飛び退くと刀を肩に担ぎ、不覚にも一方へよろめいた。
 そこを目掛けて、
「二つになれ!」と、切り込んだは主水の刀であった。
 音!
 鏘然と一合鳴った。
 陣十郎が払ったのである。
 と見て取って翻然と、要介は無手で躍りかかった。
 剣光!
 斜に一流れした。
 陣十郎の横なぐりだ。
 が、何の要介が、切られてなろうか飛び違った。
 そこを二度目に切り込んだ主水!
 またも鏘然と音がして、陣十郎の払った刀の、切先が延びて主水の股へ!
「あッ」
 主水が地に仆れた。
「お兄様!」と簪《かんざし》を逆手に、それで陣十郎の足の甲を突き、機先を制した澄江が叫び、地を這って主水へ近寄った。
「今は憎さが!」と吼えながら、何という残虐陣十郎は、澄江の背を拝み打ち!
 切ろうとした一刹那風を切って、浪之助の投げた石|飛礫《つぶて》が、陣十郎の額へ来た。
「チェーッ」
 片手で払い落とした隙を、ドッとあて[#「あて」に傍点]た躰《たい》にあたり[#「あたり」に傍点]!
 要介の精妙の躰あたりを食らい、もんどり[#「もんどり」に傍点]打って二間の彼方《かなた》へ、毬のように飛ばされた陣十郎! とはいえ彼も鍛えた躰だ、飛燕の軽さ飛び起きるや、這い廻っている主水の傍を、矢のように駈け抜けて一散に脱兎!
「待て!」と要介は追っかけたが、
「浪之助殿、貴殿は居残り、主水殿と澄江殿を介抱なされい!」
「かしこまりました」
「頼む」と云いすて、要介は韋駄天追っかけたが、この辺りの地理に詳しい彼、陣十郎はどこへ行ったものか露路か小路へ逃げ込んだらしい、既に姿は見えなかった。
 が、この頃から物音に驚き、お長屋の窓や潜門《くぐり》が開き、人々が顔を出し、
「どうしたのだ?」
「火事か?」
「盗賊か?」
 などと、口々に罵った。
 要介はそこで、大音に叫んだ。
「悪漢、鴫澤家に禍《わざわい》いたし、この界隈に隠れ居ります。お出合い下されお探し下され」
「行け」「探せ」と人々は叫び、追っ取り刀で走り出し
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