っしゃ》ると見える。……わたしはもう何にも云うまい)
 こう思って黙っているのであった。
「のう澄江殿」と又主水は、意地の悪い調子で云いつづけた。
「わしには不思議でなりませぬよ……お父上の敵の陣十郎と、一緒に旅をして居りながら、その敵を討って取ろうと、一太刀なりと加えなかったとは」
「…………」
「弱い女の身にしてからが、同じ部屋に寝泊りして来た以上、相手の眠りをうかがって、討ちとる機会はありましたはずじゃ……それを見遁して討たなかったからには、討てない理由があったものと……」
「…………」
「わしは不幸だ!」と不意に主水は、昂奮して血走った声で叫んだ。
「敵に肌身を穢された女を、妻にしなければならないとは!」
「あなた!」と澄江は顔色を変え、躰をワナワナ顫わせて、腹に据えかねたように叫び返した。
「以前にも再々申しましたとおり、陣十郎と連立って、道中旅をして参りましたは、秩父の高萩の猪之松の家で、馬大尽の井上嘉門に、すんでに肌身穢されようとしたのを、陣十郎に助けられましたからで……恩は恩、仇は仇、なんのお父上の敵などに、この肌身を穢させましょうや……道中陣十郎を見遁しましたは、助けられた恩からでございます……それにいたしましても貴方《あなた》様に――未来の良人のあなた様に、そのようなことを疑われましては、生きて居る望みござりませぬ! 死にます死にます妾は死にます!」
 いきなり刀を取って抜いた。


 主水は仰天して腕を伸ばし、その抜身をもぎ取った。
 澄江は畳へ額をつけ、ひた泣きに泣くばかりであった。
 抜身を鞘へそっと納め、手の届かない遠くへ押しやり、主水も腕を組んで考え込んだ。
(地獄の苦しみだ)とそう思った。
(こういう苦しみをするというのも、みな水品陣十郎のためだ)
 またここへ考えが落ちて行った。
(どうともして早くあいつの居場所を、探り知って討ち取りたいものだ)
(旅用の金も残り少なになった)
 このことも随分辛いのであった。
 胸は苦しく頭痛さえして来た。
 不意に主水は立ち上り、障子をあけ、雨戸をあけ、縁に立って戸外を見た。
 一跨ぎにも足りない竹垣をへだて、向かいはずっと田畑であり、月の光が農作物の上に、水銀のように照っていた。
 でも一方右手の方には、逸見《へんみ》三家中の名古屋逸見家の、大旗本の下屋敷のような、宏大な屋敷の一部が、黒く厳めしく立っていて、それが月光を遮っているので、その辺り一体が暗く見えていた。
(ああいう所には有り余る金が、腐るほど死蔵されているのだろうなあ)
 ふとこんなことが思われて、主水はその方を眺めやった。

 秋山要介は屋敷町を抜けて、大曾根の方へ歩いていた。
 尾張家の相当の使い手の武士を、乞食風情で小屋の裾から、一刀に足を斬ったという――このことが要介には不思議でならず、いずれその乞食は武士あがりの、名ある人間に相違ない、人物を見素性を知りたいものだ、それに自分が武芸者だけに、研究心と好奇心とから、その乞食と逢おうために、酒宴の席から抜け出して、こうして歩いて来たのであった。
 そして大曾根に辿りついた。
 飛々に農家があるばかりで、後は一面の耕地であり、ただ一所に宏大極まる名古屋逸見家の大屋敷が、この辺り一体を支配するかのように、月光の中に黒く高く、厳しく立っているばかりであった。
 土塀を四方に厳重に巡らし、土塀の内側へ植込を茂らせ、夜鳥を宿らせているらしく、時々啼音が落ちて来た。
 その屋敷の横を通り、要介は先へ進んで行った。
 と、遥かの行手にあたって、掘っ建て小屋が点々と、みすぼらしい形に並んでいるのが見えた。
 その方へ要介は進んで行った。
 しかしにわかに足を止め、
「はてな」と呟いて凝視した。
 小屋から十数人の人影が、バッタのように飛び出して来て、それが一団にかたまって、こっちへ歩いて来るからであった。
 なんとなく異様に思われたので、積藁の陰へ身をかくし、要介はしばらく待っていた。
 編笠をかぶり、撞木杖をついた、浪人を先頭に立てながら、乞食の一団が近寄って来た。

撞木杖の武士


 乞食の一団は話し合いながら、逸見《へんみ》屋敷の方へ歩いて行った。
「試し切りに来たらしい尾張藩の武士を、菰垂の裾からただ一刀に、足をお斬りになった先生の腕前、まったく凄いものでございましたよ」と、一人の乞食が感嘆したように云うと、
「あれなどは小供だましさ」と撞木杖の武士は事も無げに、
「足が満足であった頃には、五人であろうと、十人であろうと、撫斬りにしたものだったが」と、感慨深そうにそう云った。
 要介は黙って積藁の陰で、そういう話を聞いていたが、彼らがその前を行き過ぎると、その後から付いて行った。
(撞木杖をついている片脚の武士が、尾張家の武士を菰垂の裾か
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