」
「源女の部屋へ行かれましたな?」
「…………」
「貴殿と源女との関係は?」
「これと云って、何もござらぬ。……一年前に、ただちょっと[#「ちょっと」に傍点]……」
「さようか」と陣十郎は疑わしそうに、刀の切先のようにギラギラ光る、氷のように底冷たい眼を、じっと浪之助の顔へ注いだが、
「秋山要介殿源女の部屋へ、今日参って居られたが、貴殿と秋山殿との関係は?」
「何でもござらぬ、ただ今日、はじめてあそこでお逢いしたまでで。……」
「しかと左様か。偽りはござるまいな」
「何の偽り。……真実でござる」
まるで吟味でも受けているようだ。――浪之助はにわかに不快になり、自分の如何にも生地のないことに、腹立たしさを感じはしたが、蛇に魅入られた蛙《かわず》とでも云おうか、陣十郎という男に見詰められていると、手も足も出ないような恐怖感に、身も魂も襲われるのであった。
女に血潮《ちのり》を充分に拭わせ、やがて陣十郎は悠々と、刀を鞘に納めたが、
「拙者貴殿に悪いことは申さぬ、深い因縁がないとあれば、いよいよもって幸いでござる、源女とも秋山要介とも今後決して関係つけなさるな」
「はあ。……しかし……それは……何故に。……」
「さようさ、拙者が好まぬ故」
「…………」
何という図太い我儘だろう。何という押強《おしつよ》い要求だろう。――そうは思ったが浪之助は、それに反抗して否と云い切るだけの、力を持つことが出来なかった。
で、じっと黙っていた。
「わけても源女と関係なされては不可《いけ》ない。……いかがでござる、よろしゅうござるか」
「…………」
「よろしい、承知なされたそうな。……念のため貴殿にお訊《たず》ねいたすが、貴殿、源女の歌う不思議な歌を、耳にしたことござるかな?」
こう云って探るように睨むように見た。
(あの歌のことだな)と浪之助は思った。
3
(ちちぶのこおり、おがわむら、へみさまにわのひのきのね)
この歌のことだなとすぐ思った。
しかし聞いたとそう云ったら、どんな目に逢わされるか知れたものではない、こう思ったので浪之助は、
「いや」と簡単に否定した。
「聞かない、よろしい。それは結構。……そこで貴殿に申し上げて置く、今後決して聞いてはならぬ。よしんば例え聞くことがあっても、決してその意味を解いてはならぬ。……よろしゅうござるか、浪之助殿」
「よろしゅうござる」と浪之助は云った、仕方がないから云ったのであって、その実彼はそういわれたため、かえってその歌に含まれている意味を、解いてやろうと決心したくらいであった。
こういう問答をしているうちにも、今は血刀を拭い終えて、陣十郎の横手に佇んで、爪楊枝を噛みながら、二人の問答を上の空のように、平然と聞き流している、女の姿を観察した。
三十がらみの年恰好で、櫛巻に髪を結んで居り、絞りの単衣に黒繻子《くろじゅす》の帯、塗りの駒下駄を穿いている。腰の辺りに得も云われない、毒々しい迄の色気があった。顔は整いすぎるほど整っていたが、鼻がひときわ高かったので、ここで一点ぶちこわしていた。毒婦型に嵌まった凄艶の女! そう云えば足りる女であった。
パチリと女は腕《かいな》を打った。どうやら藪蚊が刺したらしい。左の腕の肩まで捲った。月光に浮いて見えたのは、ベッタリ刻られた刺青《いれずみ》であった。
(凄いな)と浪之助はヒヤリとした。
(陣十郎とはいい取り合わせだ)
「念の為に申し上げて置く」
重々しい。ねっとりとした。威嚇的の声で、陣十郎がその時云った。
「貴殿拙者に食言いたせば、ここに斃れているこの男のような、悲惨な運命となりましょう。よろしゅうござるかな、浪之助殿」
云い云い指で膏薬売をさした。
「…………」
無言でゴックリと唾を飲んで、ただ浪之助は頷いて見せた。
「よろしい、では、お別れいたす。……お妻《つま》行こう」
「あい、行きましょう」
月光の圏内から遁れ出て、二人は闇に消えてしまった。
小間使に下女に老婆に老僕に若党の五人を召使に持ち、広い庭を持った立派な屋敷に、気儘に生活《くらし》ている浪之助の身分は、なかなか悪くないと云ってよかろう。
翌日は昼頃までグッスリと寝、起きると物臭さそうに顔を洗い、小綺麗な小間使お里の給仕で、朝昼兼帯の食事をし、青簾《あおすだれ》を背後に縁へ出て、百合と蝦夷菊との咲いている花壇を、浪之助はぼんやり眺めながら、昨日《きのう》一日に起伏した事件を、どう統一したらよかろうかと、一つは暇、一つは興味、一つは自分の将来に、多少関係あるところから、ムッツリ思案しているところへ、
「旦那様、ご来客でございます」と、小間使が知らせて来た。
「誰だ?」と浪之助はうるさそうに云った。
「秋山要介様と仰せられました」
4
泉水築山などのよく見える、
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