点がいかないのであった。
(何か曰くがなけりゃアならない)
それにしても自分というこの女が、女賊、枕探し、邯鄲師《かんたんし》、だから他人の寝息をうかがい、抜け出ることも物を盗むことも、殺すことさえ出来るのに、知らぬとはいえそういう自分を出し抜き、抜け出ようとした主水の態度が、どうにも可笑《おか》しくてならなかった。
(いっそ可愛い位だよ)
煙管をくわえたままお妻は笑い、主水の方をそっと見遣った。主水は安らかに天井の方を向いて、規則正しい呼吸をしていた。深い眠りに入っているらしい。
もう時刻は丑の刻でもあろうか、家の内外寂しく静かで、二間ほど離れた座敷の方から、鼾の声が聞こえてき、初秋の夜風に吹かれて落ちる、中庭あたりの桐の葉でもあろうか、バサリ、バサリと閑寂の音を、時々立てるのが耳につくばかりで、山国の駅路《えきろ》の旅籠の深夜は、芭翁《ばしょう》好みの寂寥に入っていた。
(今日まで我慢をして来たんだよ。……やっぱり順当の手段《て》で行こうよ)
お妻はとうとう思い返した。
で、煙管を抛り出し、男の方へ顔を向け、横に寝返って眠ろうとした。
途端に、
「澄江!」と眠ったままで、主水がハッキリ声を立てて云った。
「澄江よ! 澄江よ! お前はどこに! ……」
お妻はグラグラと眼が廻った。
(畜生!)
ムックリと起き上った。
(やっぱり思っていやがるんだ! あの女のことを! 澄江のことを!)
眼を据えて主水の寝顔を睨んだ。
主水は長閑《のどか》に眠っている。
が、愛する女のことを、夢にでも見ているのであろうか、閉じた眼を優しく痙攣させ、閉じた唇に微笑を湛えている。
8
それからしばらく経った時、追分の宿の宿外れを、野の方へ行く女があった。
星はあるが月のない夜で、それに嵐さえ吹いていて、その嵐に雲が乱れ、星をさえ隠す暗澹さ!
そういう夜道を物に狂ったかのように、何か口の中で呟きながら、走ったかと思うと立ち止まり、立ち止まったかと思うと又走る。
それは他ならぬお妻であった。
眠っている間も恋しい女、澄江のことを忘れかね、うわ言に出して云った主水――そういう主水の心持を知り、怒りと失望と嫉望《しっと》とに、お妻はほとんど狂わんばかりとなり、汝《おのれ》どうしてくれようかと、殺伐の気さえ起こしたのであったが、それは年増であり世間知りであり、世なれている彼女であったので、まずまずと心をおちつかせ、燃えるように上気《のぼ》って痛む頭を、夜の風にでも吹かせてやろうと、そこは女|邯鄲師《かんたんし》で、宿をこっそり抜け出すことなど、雑作なく問題なく出来るので、宿をこっそり抜け出して、今こうやって歩いているのであった。
さて冷え冷えとした高原の、秋の夜の風に吹かれながら、お妻は歩いているのであるが、問題が問題であるだけに、心は穏かにはならなかった。
(宿へ放火《ひつけ》でもしてやろうか!)
(人殺《ひとごろし》でもしてやろうか!)
そんなことさえ思うのであった。
街道から反れて草の露を散らし、お妻は野の方へ歩いて行く。
と、街道を背後《うしろ》の方から、木曽の納めの馬市へ出る、馬の群が博労に宰領されて、陸続と無数にやって来た。徹夜をして先へ進むのであった。それらのともして[#「ともして」に傍点]行く提燈の火が、点々とあたかも星のように、道を明るめ動いていたが、珍らしい美しい眺めであった。
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]秋が来たとて鹿さえ鳴くに、なぜに紅葉《もみじ》は色に出ぬ
※[#歌記号、1−3−28]余り米とはそりゃ情ない、美濃や尾張の涙米
[#ここで字下げ終わり]
などと唄う馬子唄の声が、ノンビリとして聞こえてきた。
しかしお妻にはそういう光景も、珍らしくもなければ美しくもなかった。でただ夢中で歩いていた。
陣十郎が同じような心境の下に、旅籠を出て野の方へやって来たのは、ちょうどこの頃のことであった。
主水のことを思っている澄江! それを口へ出して云った澄江! そういう澄江を夕方見た。汝々どうしてくれよう! すんでにその時陣十郎は、澄江を一刀に切ろうとした。
が、それは辛うじて抑えた。
さて夜になって二人は寝た。
部屋の片隅に澄江が寝、別の片隅に陣十郎が寝。――これまでやって来たように、その夜もそうやって二人は寝た。
が、陣十郎は眠られなかった。
怒り、失望、嫉妬の感情が、心を亢《たか》ぶらせ頭を燃やし、安眠させようとしないのである。
見れば澄江も眠られないと見えて、そうして恐怖に襲われていると見えて、こっちへ細い頸足《うなじ》を見せ深々と夜具にくるまったまま、溜息を吐いたり顫えたりして、夜具の中で蠢いていた。
(一思いに……)
この考えが又浮かんだが、あさま
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