後日の取沙汰も恐ろしい。討つものなら立派に討とう! 討たれるものなら立派に討たれよう!)
 二人ながら心身疲労していた。
 気|疲労《つかれ》! 気疲労! 恐ろしい気疲労!
 技が勝れているだけに、伎倆《うで》が伯仲であるだけに、その気疲労も甚だしいのであった。
 向かい合っていた二本の刀の、その切先がやがて徐々に、双方から寄って来た。
 見よ二人ながら踏み出している右足の爪先が蝮を作り、地を刻んで一寸二寸と、相手に向かって進むではないか。
 ぢ――ン[#「ぢ――ン」はママ]!
 音は立たなかった。
 が、ぢ――ン[#「ぢ――ン」はママ]と音立つように、互いの切先が触れ合った。
 しかしそのまま二本の刀身は、一度に水のように後へ引き、その間隔が六歩ほどとなった。
 そうしてそのまま静止した。
 静止したまま山形をなし、山形をなしたまま微動した。
 薄くポ――ッと刀と刀の間に、立ち昇っているのは塵埃《ほこり》であった。
 二人の刻んだ足のためにポ――ッと立った塵埃であった。
 間、
 長い間。
 天地寂寥。
 が、俄然二本の刀が、宙で烈しくもつれ合った。
 閃光! 太刀音! 鏘然! 鍔鳴り!
 で、Xの形となって、二本の刀は交叉され、わずかに左右に又前後に、揺れつ縒れつ押し押されつ、粘ったままで放れなかった。

15[#「15」は縦中横]
 鍔競り合い!
 眼と眼との食い合い!
 そうだ、林蔵と猪之松との眼が、交叉された刀の間を通し、互いに食い合い睨み合っている。
 鍔競り合いの恐ろしさは、競り合いから離れる一刹那にあった。胴を輪切るか真っ向を割り付けるか、伎倆《うで》の如何《いかん》、躰形《たいけい》の如何、呼吸の緩急によって変化縦横! が、どっちみち恐ろしい。
 林蔵も猪之松も一所懸命、相手の呼吸を計っていた。
 と、交叉された刀の間へ、黒く塗られた刀の鞘が、忍びやかに差し込まれた。
「?」
「?」
 鞘がゆるゆると上へ上った。二本の白刃を持ち上げるのである。と、威厳ある声がした。
「勝負待て! 刀を引け! 仲裁役は秋山要介!」
 声と同時に刀の鞘が、二本の刀身を左右に分けた。
 二間の距離を保ちながら、尚、残心、刀を構え、睨み合っている林蔵と猪之松、その間に鞘ぐるみ抜いた太刀を提げて、ノビノビと立ったのは秋山要介で、まず穏かに林蔵へ云った。
「刀を鞘へ納めるがよい」
 それから猪之松の方へ顔を向け、
「以前一二度お見かけいたした。高萩村の猪之松殿か、拙者秋山要介でござる。刀を納め下されい」
 しばらくの間寂然としていた。
 やがて刀の鞘に収まる、鍔鳴りの音が二つ聞こえた。

 この頃源女は大薮を出て、唐黍《とうもろこし》畑の向こうを歩いていた。
(行かなければ不可《いけ》ない、さあ行こう)
 こう思いながら歩いていた。
 何者《だれ》か向こうで呼んでいる。そんなように彼女には思われるのであった。
 畦を越し桑畑を越した。そうして丘を向こうへ越した。もう背後を振り返って見ても、街道も大薮も見えないだろう。
 大渓谷、大傾斜、大森林、五百頭千頭の馬、無数の馬飼、宏大な屋敷――そういうものの存在している所へ、行かなければならない行かなければならない! ……そう思って彼女は歩いて行く。
 崩れた髪、乱れた衣裳、彼女の姿は狂女そっくりであった。発作の止まない間中は、狂女と云ってもいいのであった。
 長い小高い堤があった。
 よじ上って歩いて行った。
 向こう側の斜面には茅や蘆が、生い茂り風に靡いている、三間巾ぐらいの川があり、水がゆるゆると流れていた。
「あッ」
 源女は足を踏み辷らせ、ズルズルと斜面を川の方へ落ちた。パッと葦切が数羽飛び立ち、烈しい声で啼いて去った。と、蘆を不意に分けて、古船が一隻辷り出た。源女がその中に倒れている。
 纜綱《もやいづな》を切らした古船は、源女を乗せたまま流れて行く。
 源女は微動さえしなかった。

各自の運命


 高萩村に近い森の中まで、陣十郎を追って来た鴫澤主水《しぎさわもんど》は、心身全く疲労し尽くし、ほとんど人心地を覚えなかった。
 抜身を地に突き体を支えたが、それにも堪えられずクタクタ倒れた。
 とうに陣十郎は見失っていた。
 その失望も手伝っていた。
(残念、逸した、敵を逸した!)
(が、飽くまでも探し出して、……)
 立ち上ろうと努力した。
 が、躰はいうことをきかず、のみならず精神さえ朦朧となった。
 こうして杉や桧や槇や、楢などの喬木に蔽われて、その奥に朱の褪せた鳥居を持ち、その奥に稲荷の祠を持ち、日の光も通して来ず、で薄暗い風景の中に、雀や鶸《ひわ》や山雀《やまがら》や山鳩の、啼声ばかりが繁く聞こえる、鎮守の森に包まれて、気絶して倒れた主水の姿が、みじめに痛々しく眺められた。
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