も縁は極めて薄い。林蔵の方は俺の弟子、しかも現在この俺は、林蔵の家に世話になっている。深い縁がある、他人ではない。……その林蔵を見殺しには出来ない! 行こう! しかし、そうだしかし、主水殿もお気の毒な! では、せめて言葉の助太刀!)
 そこで要介は主水の方に向かい、大音をもって呼びかけた。

13[#「13」は縦中横]
「鴫澤《しぎさわ》氏、主水殿! 敵水品陣十郎を追い詰め、見事に復讐をお遂げなされ! 拙者、要介、秋山要介、貴殿の身辺に引き添って、貴殿あやうしと見て取るや、出でて、必ずお助太刀いたす! ……心丈夫にお持ちなされい! ……これで可《よ》い、さあ行こう!」
 街道目掛けて走り出した時、
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]今は変わって千の馬
五百の馬の馬飼の
[#ここで字下げ終わり]
 と、聞き覚えある源女の声で、手近で歌うのが聞こえてきた。
「や、……歌声! ……源女の歌声!」
 要介は足を釘づけにした。
 探していた源女の歌声が、手近の所から聞こえてきたのであった。足を止めたのは当然といえよう。
「源女殿! お組殿!」
 思わず大声で呼ばわって、要介は四辺《あたり》を忙《せわ》しく見た。
 丘、小山とでも云いたいほどに、うず高く聳えている薮以外には、打ち開けた耕地ばかりで、眼を遮る何物もなかった。
(不思議だな、どうしたことだ。……歌声は空耳であったのか?)
 陣十郎の感じたようなことを、要介も感ぜざるを得なかった。
「先生、どうしたんですい、行っておくんなせえ」
 要介に足を止められて、胆を潰した藤作が怒鳴った。
「第一先生がこんな方角へ、トッ走って来たのが間違いだ。俺ら向こうで見ていたんで。すると先生の姿が見えた。しめた、先生がやって来た、林蔵親分に味方して、猪之松を叩っ切って下さるだろう。――と思ったら勘違いで、こんな薮陰へ来てしまった。そこで俺ら迎えに来たんだが、その俺らと来たひ[#「ひ」に傍点]には、ミジメさったら[#「ミジメさったら」は底本では「ミヂメさったら」]ありゃアしない。馬方に土をぶっかけられたんで。と云うのも杉さんがいなかったんで。その杉さんはどうしたかというに、誘拐《かどわか》された女の兄さんて奴が――そうそう主水とか云ったっけ、そいつが陣十郎とかいう悪侍に、オビキ出されて高萩村の方へ行った。とその女が云ったんで、こいつ大変と杉さんがね、高萩村の方へ追って行ったんで。――が、まあ可《い》いやそんな事ア。よくねえなア親分の身の上だ、まごまごしていると猪之松の野郎に……あッどうしたんだ見物の奴らア……」
 いかさま街道や耕地に屯し、果し合いを見ていた百姓や旅人が、この時にわかに動揺したのが、要介の眼にもよく見えた。が、すぐに動揺は止んで、また人達は静かになった。緊張し固くなって見ているらしい。
 突嗟に要介は思案を定めた。
(ここら辺りに源女がいるなら、薮の中にでもいるのであろう。正気でないと云ったところで、直ぐに死ぬような気遣いはない。……林蔵と猪之松との果し合い、これは一刻を争わなければならない。よしそっちへ行くことにしよう。……が、しかし念のために……)
 そこで要介はまたも大音に、薮に向かって声をかけた。
「源女殿、要介お迎えに参った。どこへもおいでなさるなよ! ……」

14[#「14」は縦中横]
 街道では林蔵と猪之松とが、遠巻きに見物の群を置き、どちらも負けられない侠客《おとこ》と侠客との試合それも真剣の果し合いの、白刃を互いに構えていた。
 かなり時間は経過していたが、わずか二太刀合わせたばかりで、おおよそ二間を距てた距離で、相正眼に脇差をつけ、睨み合っているばかりであった。
 猪之松には乾兒や水品陣十郎の間に、何か事件が起こったらしく、耕地で右往左往したり、逃げる奴倒れる奴、そういう行動が感ぜられたが、訊ねることも見ることもできず、あつかう[#「あつかう」に傍点]こともできなかった。傍目一つしようものなら、その間に林蔵に切り込まれるからであった。
 林蔵といえどもそうであった、乾兒の藤作の声がしたり、杉浪之助の声がして、何か騒動を起こしているようであったが、どうすることも出来なかった。相手の猪之松の剣の技、己と伯仲の間にあり寸分の油断さえ出来ないからであった。
 が、そういう周囲の騒ぎも、今は全く静まっていた。数間を離れて百姓や旅人、そういう人々の見物の群が、円陣を作って見守っているばかりで、気味悪いばかりに寂静《ひっそり》としていた。
 二本の刀が山形をなし、朝の黄味深い日の光の中で、微動しながら浮いている。
 二人ながら感じていた。――
(ただ目茶々々に刀を振り廻して、相手を切って斃せばよいという、そういう果し合いは演ぜられない。男と男だ、人も見ている。
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