いじろ》かったが、その襖の開いている左門の部屋は、洞窟《ほら》の口のように黒く、そこに釣ってある紙帳は、これまた灰白く、寝棺のように見え、それらの物像《もの》を背後《うしろ》にして、痩せた、身長《せい》の高い左門が、左手に刀を持ち、その拳を腰の上へあて、右手の拳も腰の上へあて、昆虫《むし》が飛び足を張ったような形で、落ち着きはらって立っている姿は、全く気味悪いものであった。
左門は云いつづけた。
「ところで、先刻《さきほど》、一人の女子が、拙者の巣へ――寝所へ、迷い込んでござる。美しい女子ではあり、先方から参ったものではありして、拙者、遠慮なく、労《いたわ》り、介抱いたし……女子も満足いたしたかして眠ってござる。……しかるにその女子、貴殿が姓名を宣られるや、眼覚め、叫びましたのう。『頼母様でございますか、妾はお浦でございます。……部屋を取り違えてこんな目に』と。……さては、お浦という女子、貴殿の恋人そうな。……気の毒や、拙者、貴殿の恋人を……」
ここで左門は例の含み笑いをしたが、
「それにいたしても、不思議のことがござったよ。……そのお浦という女子、天国の剣を所持し参ったことじゃ。……おお、そうそう、そういえば、そのお浦儀、夢の中で『頼母様、天国様を持って参りました』と叫びましたっけ。……さては、貴殿へお渡ししようため、天国を持参したものと見える。……今もお浦儀、その天国を、大事そうに抱いて寝てござる」
こう云って来て左門は、お浦がああ叫んで立ち上がったところを、一当てあてて[#「あてて」に傍点]気絶させ、気絶したお浦が、刀箱の上へ仆れた姿を、脳裡へ描き出した。
「天国の剣を欲しがるは拙者で、貴殿ではない筈。その理由は申すまでもござるまい。……拙者といたしては、天国の剣をもって、貴殿はじめ、伊東家の一族を、族滅《ぞくめつ》いたしたいのでござる。……とはいえ、ああまで大切そうに、お浦殿が抱きしめている天国を、もぎ取るも気の毒。では、この関ノ孫六で、貴殿の息の根を止めることと致そう。行くぞーッ」
と叫んだ時には、左門は庭へ飛び下りてい、関ノ孫六は引き抜かれていた。
ハーッとばかりに呼吸《いき》を呑み、思わず数歩飛び退いた頼母は、相手の構えを睨んだ。何んと、左門の刀身が見えないではないか! 見えているものは、肩から、左の胴まで湾曲している右の腕と、踏み出している
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