?」
 と訊き返した。
「拙者は……」
 と、頼母は云ったが、当惑した。本名を宣るものだろうか、それとも、偽名を使ったものだろうか?
(相手が五味左門なら、当然宣りかけて討ち取らなければならないし、もしまた人違いなら、無断に襖をあけ、抜き身をさえ構えて誰何《すいか》した無礼を、これまた、本名を宣って詫びなければならないのだから……)
 頼母は、本名を宣ることにした。
「拙者ことは、伊東頼母と申し、隣りの部屋へ泊まり合わせたものでござる」
 俄然騒動が起こった。
「おお頼母様でございますか! 妾《わたし》はお浦でございます! ……部屋を取り違えて……」
 という声が、紙帳の中から起こり、すぐに、女の立ち上がる影法師が、紙帳の面へ映った。が、それは一瞬間で、たちまち悲鳴が起こり、女の姿が仆《たお》れるのが見え、つづいて燈火が消え、部屋の闇の中に、ぼんやりと白く紙帳ばかりが残った。
 しかし、やがて、紙帳の裾が、鉄漿《おはぐろ》をつけた口のようにワングリと開き、そこから、穴から出る爬虫類《ながむし》かのように、痩せた身長《せい》の高い武士が出て来た。刀をひっさげた左門であった。左門は、縁先まで一気に出、その気勢に圧せられ、後へ退り、抜き身を構えている頼母を睨《にら》んだが、
「貴殿が伊東頼母殿か、拙者は五味左門、巡り逢いたく思いながら、これまでは縁なくて逢いませなんだが、天運|拙《つたな》からず今宵《こよい》逢い申したな。本懐! ……貴殿にとっては拙者は、父の敵でござろうが、拙者にとっても貴殿は、父の敵の嫡宗《ちゃくそう》、恨《うら》みがござる! 果たし合いましょうぞ!」
 と、例の、嗄れた、陰湿とした声で云った。

    難剣「逆ノ脇」

 左門は急に驚いたように、
「貴殿とは、今宵が初対面と思いましたが、そうではござらぬな。過ぐる夜拙者、道了塚のほとりの、林の中で野宿をいたし、通りかかりのお武家を呼び止め、腰の物拝見を乞いましたところ、拒絶《ことわ》られ、やむを得ず、一当てあてて[#「あてて」に傍点]……フッフッ、若衆武士殿を気絶させましたが、どうやらそれが貴殿らしい。……頼母殿、さようでござろう」
 痛いところへさわられた頼母は、赤面し、切歯し、黙っていた。しかし彼には左門が気味悪く思われてならなかった。黒く大きく立っている離座敷《はなれ》、――壁と襖とは灰白《は
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