。
頼母は弱々しく頷いて見せ、そうして、(俺はこの娘に助けられたらしい)と思った。しかしすぐに、紙帳から出て来た武士のことが気にかかった。それで、まだ弛《ゆる》く、自由になりにくい首をやっと廻して、林の方を見た。どんぐり[#「どんぐり」に傍点]や櫟《くぬぎ》や柏によって形成《かたちづく》られている雑木林には、今は陽があたっていて、初葉さえ附けていない裸体《はだか》の幹や枝が、紫ばんだ樺《かば》色に立ち並んでいたが、紙帳は釣ってなかった。(夜の間に立ち去ったのだな。それにしてもあの武士、何者なのであろう? 突然紙帳の中から出て来て、刀を見せろと云い、見せないといったら、体当たりをくれ、俺を気絶させおった。紙帳を林の中に釣って寝ていたところから察すると、武者修行の者らしいが、着流しで、頭巾を冠っていた様子から推すと、そうでもないらしい)頼母は、頭に残っている疲労の中で、こんなことを考えた。(それにしても、彼と俺との、武技《うで》の相違はどうだったろう)これを思うと頼母は、赧くならざるを得なかった。(大人と子供といおうか。世には恐ろしい奴があればあるものだ)
この時娘が、
「野中の道了様へお詣りに参りましたところ、あなた様が気絶をしておいでなさいましたので、ご介抱申し上げたのでございます。でも正気づかれて、ほんとうに嬉しゅうございます」
と云った。細々としていて、優しい、それでいて寂《さび》しみの籠もっている声であった。
頼母は娘の顔へ眼をやり、
「忝《かたじ》けのうございました。おかげをもちまして、命びろいいたしました」と云ったが、(何んだ俺はまだ寝ているではないか)と気づき、起き上がろうとした。しかし、倒れた時、体をひどく打ったらしく、節々が痛んで、なかなか起き上がれなかった。
「いえいえ、そのままでおいでなさいませ。お寝《よ》ったままで。どうせそのお体では、すぐにご出立は出来ますまい。むさくるしい所ではございますが、妾《わたし》の家で、二、三日ご逗留し、ご養生なさいませ。いえいえご遠慮には及びませぬ。よく妾の家へは、旅のお武家様がお立ち寄りでございます。父が大変喜びますので。でも、家は一里ほど離れておりますので、お徒歩《ひろ》いではお困りでございましょう。乳母《ばあや》がおりますゆえ、町へやり、駕籠をひろわせて参りましょう。……乳母!」と、娘は立ち上がりなが
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