、何んであろうぞ」
すると武士は、頭巾の中で、錆《さび》のある、少し嗄《しわが》れた声で笑ったが、「貴殿も、天国不存在論者か。馬鹿者の一人か。まアよい、腰の物お見せなされ」と、近寄って来た。
頼母は、傍若無人といおうか、自信ある行動といおうか、相手の武士が、無造作に、近寄って来る態度に圧せられ、思わず二、三歩退いたが、冠っていた編笠を刎ね退《の》け、刀の柄へ手をかけた。父の敵《かたき》を討つまでは、前髪も取らぬと誓い、それを実行している頼母は、この時二十一歳であったが、前髪を立てていた。当時の若衆形、沢村あやめ[#「あやめ」に傍点]に似ていると称された美貌は、月光の中で蒼褪めて見えた。
武士は、頼母の前、一間ばかりの所で立ち止まったが、「まだお若いの。若い貴殿を蜘蛛《くも》の餌食《えじき》にするのも不愍、斬るのは止めといたすが、云い出したからには、腰の物は拝見いたさねばならず……眠らせて!」
「黙れ!」
鍔音《つばおと》がした!
「はーッ」と頼母は、思わず呼吸《いき》を引いた。武士によって鳴らされた鍔音が、神魂に徹《とお》ったからであった。
猛然と頭巾が逼って来た。頭巾の主の体が、怒濤のように殺到して来た。そうして次の瞬間には、頼母は、地上へ叩き付けられていた。体当たりを喰らったのである。
俯向けに地に倒れた頼母は、(俺はここで死ぬのか。死んでは困る。俺は父の敵五味左門を討たなければならないのだから)と思った。
そういう彼の眼に見えたものは、彼の両刀を調べている武士の姿であった。そうして、その武士の背後の地面から、瘤《こぶ》のように盛り上がっている古塚であった。その古塚は、数本の松と、一基の碑《いしぶみ》とを、頂きに持っていた。そうして……しかし、頼母の意識は朦朧《もうろう》となってしまった。
参詣《おまいり》に来た娘
その頼母が、誰かに呼ばれているような気がして、正気づいた時、まず見えたのは、自分の顔へ、近々と寄せている、細い新月のような眉、初々《ういうい》しい半弓形の眼の、若い女の顔であった。円味の勝った頤《おとがい》につづいて、剥《む》き胡桃《くるみ》のような、肌理《きめ》の細かな咽喉が、鹿《か》の子《こ》の半襟から抜け出している様子は、艶《なまめ》かしくもあれば清らかでもあった。
「もし、お武家様、お気づかれましたか」と娘は云った
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