ら呼んだ。
 五十あまりの、品のよい婦《おんな》が、古塚のような小丘の裾に佇んでいたが、すぐに寄って来た。それへ娘は何やら囁いた。
「はい、お嬢様、かしこまりましてございます」乳母はそう云ったかと思うと、雑木林を巡って歩いて行った。
 娘は、しばらくそれを見送っていたが、やがて屈《かが》むと、地に置いてあった線香の束を取り上げ、「どれ、それでは妾は、ちょっと道了様へ。……」と云い、古塚のような、小丘の方へ歩いて行った。
(あれが道了様なのか)と、頼母は、それでもようやく起き上がった体を、小丘の方へ向け、つくづくと眺めた。それは、高さ二間、周囲《まわり》十間ぐらいの大岩で出来ている塚であったが、その面に、苔だの枯れ草だの枯れ葉だのがまとい付いている上に、土壌《つち》が蔽うているので、早速には、岩とは見えなかった。塚の頂きに立っている碑《いしぶみ》には、南無妙法蓮華経と、髭《ひげ》題目が刻まれていた。碑は、歳月と風雨とに損われて、諸所《ところどころ》欠けている高さ六尺ぐらいの物で、色は黝《くろ》かったが、陽に照らされ、薄光って見えた。その碑の面を、縒《よ》れたり縺《もつ》れたりしながら、蒼白い、漠とした物が立ち昇って行った。娘が供えた線香の煙りであった。煙りの裾、碑の前に、つつましく屈み、合掌しているのが娘で、その姿が、数本の小松に遮《さえぎ》られていたので、かえって趣《おもむ》き深く眺められた。
「絵だ」と、頼母は、娘の赤味の勝った帯などへ眼をやりながら、呟いた。

    古屋敷の古浪人

 乳母《ばあや》が雇って来た駕籠に乗り、頼母が、娘の家へ行ったのは、それから間もなくのことで、娘の家は、府中から一里ほど離れたところにあった。鋲打ちの門や土塀などに囲まれた、それは広大《ひろ》い屋敷であったが、いかにも古く、住人も少ないかして、森閑としていた。頼母は、古びた衝《つい》立ての置いてある玄関から、奥へ通された。
 さて、この日が暮れ、夜が更けた時、屋敷の一間から、話し声が聞こえて来た。
 畳も古く、襖も古く、広いが取り柄の客間に、一基の燭台が置いてあったが、その灯の下で、四人の武士が、酒を飲み飲み、雑談しているのであった。
「我輩は、ここへ逗留して三日になるが、主人《あるじ》薪左衛門殿の姿を見たことがない。気がかりともいえれば不都合ともいえるな」と云ったのは、頬に刀傷
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