人の者が、廊下に立って、夜景色を見ておる。長閑《のどか》の風景だったぞ。そこでわし[#「わし」に傍点]の心が変った。貴殿方と話す代りに、貴殿方の腰の物を拝見しようとな。悪気からではない。わし[#「わし」に傍点]の趣味《このみ》からじゃ。そこでわし[#「わし」に傍点]は貴殿方の腰の物をひとまとめにして持って参り、今までかかって鑑定いたした。さあ見てくれといわぬばかりに投げ出してあった刀、四本のうち一本ぐらい、筋の通った銘刀《もの》があるかと思ったところ、なかったぞ。フ、フ、フッ、揃いも揃って、関の数打ち物ばかりであったよ」
蜘蛛の犠牲《にえ》
「チェッ」と舌打ちをしたのは、短気らしい山口という武士で、やにわに刀を抜くと、「他人《ひと》の腰の物を無断で見るさえあるに、悪口するとは何事じゃ。出て来い! 斬ってくれる!」
「斬られに行く酔狂者はない。出て行かぬよ。用があらば、そっちから紙帳の中へはいって参れ。ただし、断わっておくが、紙帳の中へはいったが最後、男なら命を女なら……」
「黙れ!」と、山口という武士は、紙帳に映っている影を目掛け、諸手《もろて》突きに突いた。
瞬間に、紙帳の中の燈火《ともしび》が消え、紙帳は、経帷子《きょうかたびら》のような色となり、蜘蛛の姿も――内側から描かれていたものと見え、燈火が消えると共に消えてしまった。そうして、突かれた紙帳は、穏《おとな》しく内側へ萎み、裾が、ワングリと開き、鉄漿《おはぐろ》をつけた妖怪の口のような形となり、細い白い手が出た。
「!」
悲鳴と共に、山口という武士はのけぞり[#「のけぞり」に傍点]、片足を宙へ上げ、それで紙帳を蹴った。しかし、すぐに、武士は、足から先に、紙帳の中へ引き込まれ、忽ち、断末魔の声が起こり、バーッと、血飛沫《ちしぶき》が、紙帳へかかる音がしたが、やがて、森然《しん》と静まってしまった。角右衛門は、持っていた燭台を抛り出すと、真っ先に逃げ出し、つづいて、紋太郎が逃げ出した。
しかし片岡という武士は、さすがに、同宿の誼《よし》みある浪人の悲運を、見殺しに出来ないと思ったか、夢中のように、紙帳へ斬り付けた。とたんに、紙帳の裾が翻《ひるがえ》り、内部《うち》から掬《すく》うように斬り上げた刀が、廊下にころがったままで燃えている、燭台の燈に一瞬間輝いた。
「わ、わ、わーッ」と、苦痛の声が、
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