から千浪を引きずったが、
「今夜の伽《とぎ》だ! 嬉しそうに笑え!」
で、襖を開けようとした。
と、その襖が向こうから開いて、
「孫七郎様」と云う声が聞こえてきた。優しくて穏かではあったけれど、威厳のある老女の声であった。
つと立ちいでた人物がある。
円頂黒衣鼠色の衣裳、手に珠数をつまぐっている。眉長く鼻秀で、額は広く頤は厳しい。澄んではいるが鋭い眼、頬に無数の皺はあるが、かえって顔を高貴にしている。
これこそ女傑|幸蔵主《こうぞうす》であった。
「相変わらずのお悪戯《いた》でござりますか」
あたかも子供でもあしらうように、こう秀次に云いかけたが、咎めるような調子はなくて、なだめるような調子があった。そうしてそれが大広間の殺気と、秀次の兇暴の心持とを、平和な甘いものにした。
「幸蔵主の姥か」と鼻白んだように、秀次は千浪の手を放したが、
「俺《わし》はな心が寂しいのだよ」
云い云い元の座へ押し坐った。
と、幸蔵主も膝を揃えて、秀次の前へ坐ったが、手を上げると大広間を撫でるようにした。立ち去れという所作なのである。
これで助かったというように、座に並んでいた妻妾達が近習の
前へ
次へ
全79ページ中52ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング