親房《ちかふさ》の後胤として、非常に勝れた家柄であった。学者風の人物であるところから、公卿にも、武家にも仕えようとはせずと、豪族の一人として閑居していた。
聚楽第《じゅらくだい》の西の花園の地に、手広い屋敷を営んで、家の子郎党も多少貯え、近郷の者には尊敬され、太閤秀吉にも認められ、殿上人にも親しまれて、のびやかに風雅にくらしていた。しかし身分は無位無官で、地下侍には相違なかった。
「人間の栄華というようなものは、そうそう長くつづくものではない。よし又長くつづいたところで、大して嬉しいものではない。栄華には栄華の陰影《かげ》として、不安なものがあるものだ。人の本当の幸福は、小慾にあり知足にある」
これが秋元の心持であった。従って伏見桃山の栄華や、聚楽の豪奢に対しても、全くのところ風馬牛であった。
とは云え関白秀次の態度――すなわち兇暴と荒淫との、交響楽じみた態度については、苦々しく思っていた。
「今にあの卿は亡ぼされるであろう」と、人に向かって噂などもした。
そういう秋元の子であった。秋安も閑雅の人物であったが、若いだけに覇気があって、飯篠長威斎《いいささちょういさい》の剣法を学
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