や柏や、榎、桧などの間に立ち雑って、仄白い花を咲かせていた桜の花がひとしきり、花弁《はなびら》を瀧のように零したのは、逃げて行く際に覚兵衛の一味が、それらの木々にぶつかっ[#「ぶつかっ」に傍点]たからであろう。
 と、俄然主税の体が、刀をしっかりと握ったまま腐木《くちき》のように地に仆れた。斬られて死んで斃れたのではなかった。
 心身まったく疲労《つかれ》果て、気絶をして仆れたのである。
 そういう主税の仆れている体へ、降りかかっているのは落花であり、そういう主税の方へ寄って来るのは薄赤い燈の光であった。
 そうして薄赤いその燈の光は、昨夜御用地の林の中で、老人と少年と女猿廻しとが、かかげていたところの龕燈の火と、全く同じ光であった。その龕燈の燈が近づいて来る。ではあの老人と少年と、女猿廻しとがその燈と共に、近付いて来るものと解さなければならない。
 でもにわかにその龕燈の燈は、大藪の辺りから横に逸れ、やがて大藪の陰へかくれ、ふたたび姿を現わさなかった。
 そこで又この境地はひっそりとなり、鋭い切先の一所を、ギラギラ月光に光らせた抜身を、いまだにしっかり握っている主税が、干鱈のように仆れているばかりであった。
 時がだんだんに経って行った。
 やがて、主税は気絶から覚めた。
 誰か自分を呼んでいるようである。
 そうして、自分の後脳の下に、暖かい柔らかい枕があった。
 主税はぼんやり眼を開けて見た。
 自分の顔のすぐの真上に、自分の顔へ蔽いかぶさるように、星のような眼と、高い鼻と、薄くはあるが大型の口と、そういう道具の女の顔が、周囲《まわり》を黒の楕円形で仕切って、浮いているのが見て取られた。
 お高祖頭巾で顔を包んだ、浪速《なにわ》あやめ[#「あやめ」に傍点]の顔であった。
(あやめ[#「あやめ」に傍点]がどうしてこんな所に?)
 気力は恢復してはいなかったが、意識は返っていた主税はこう思って、口に出してそれを云おうとした。
 でも言葉は出せなかった。それ程に衰弱しているのであった。眼を開けていることも出来なくなった。そこで彼は眼を閉じた。
 そう、主税に膝枕をさせ、介抱している女はあやめ[#「あやめ」に傍点]であった。鼠小紋の小袖に小柳繻子の帯、紫の半襟というその風俗は、女太夫というよりも、町家の若女房という風であり、お高祖頭巾で顔を包んでいるので、謎を持った秘
前へ 次へ
全90ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング