た、この二つの意外な事件によって、さすがの彼も心を痛め、この時まであてなく江戸の市中を、さまよい歩いていたのであった。
(荏原屋敷とは何だろう?)
このことが彼の気になっていた。
独楽の隠語の中にもこの字があった。勘兵衛という男もこの言葉を云った。そうしてあやめ[#「あやめ」に傍点]という曲独楽使いも、この屋敷に関係があるらしい。
(荏原郡《えばらごおり》の馬込の郷に、そういう屋敷があるということは、以前チラリと耳にはしたが)
しかし、それとて非常に古い屋敷――大昔から一貫した正しい血統を伝えたところの、珍らしい旧家だということばかりを、人づてに聞いたばかりであった。
(がしかしこうなってみれば、その屋敷の何物かを調べてみよう)
主税はそんなように考えた。
独楽のことも勿論気にかかっていた。
――どれほどあの独楽を廻してみたところで、これまでに現われた隠語以外に、新しい隠語が現われそうにもない。そうしてこれまでの隠語だけでは、何の秘密をも知ることは出来ない。どうやらこれは隠語を隠した独楽は、あれ以外にも幾個《いくつ》かあるらしく、それらの独楽を悉皆《みんな》集めて全部《すっかり》の隠語を知った時、はじめて秘密が解けるものらしい。
(とすると大変な仕事だわい)
そう思わざるを得なかった。
しかし何より主税の心を、憂鬱に抑えているものは、頻々とあるお館の盗難と、猿廻しに変装したあやめ[#「あやめ」に傍点]とが、密接の関係にあることで、今日あやめを小屋へ訪ねたのも、その真相を探ろうためなのであった。
(猿廻しから得た独楽と隠語と、お館の中に内通者ありという、自分の意見とを松浦殿へ、今朝方早く差し上げたが、その結果女の内通者が、お館の中で見付かったかしら?)
考えながら主税は歩いて行った。
腐ちた大木が倒れていたり、水溜りに月光が映っていたり、藪の陰から狐らしい獣が、突然走り出て道を遮ったりした。
不意に女の声が聞こえた。
「あぶない! 気をおつけ! 背後《うしろ》から!」
瞬間に主税は地へ仆れた。
「あッ」
その主税の体へ躓《つまず》[#「《つまず》」は底本では「《つまづ》」]き、背後から切り込んで来た一人の武士が、こう叫んで主税のからだ越しにドッとばかりに向こうへ仆れた。
疾風迅雷も物かわと、二人目の武士が左横から、なお仆れている主税を目掛け
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