「お母様アーッ」
「お母様アーッ」
 意外の事の真相に、心を顛動させた二人の娘は、左右から母へすがりついた。
「そうとは知らずお母様を怨み……」
「そうとは知らず主馬之進殿を殺し……」
「わたしたちこそどうしよう!」
「お母様アーッ」
「主馬之進様アーッ」
「いやいや」と、本当に最後の息で、主馬之進は言葉を発した。
「やっぱりわしは殺されていい男……荏原屋敷を横領し、隠されてある淀屋の財宝を、ウ、奪おう、ト、取ろうと……殺されていい身じゃ殺されていい身じゃ」
 まったく息が絶えてしまった。
 途端に松女もガックリとなった。
 この時階段の上り口から、勘兵衛の狼狽した喚き声が聞こえた。
「不可《いけ》ねえ、殺《やら》れた、旦那が殺れた! ……オ、奥様も死んだらしいわ――ッ」
 バタバタと階段から駈け下りる音が、けたたましく聞こえてきた。
 しかし、その音は中途で止んで、呻き声が聞こえてきた。見れば階段の中央の辺りに、勘兵衛の体が延びていた。
 紐が首に捲き付いている。
 そうしてその紐は手繰《たぐ》られて、勘兵衛の体は階段を辷って、二階の方へ上って行った。紐を手繰っているのはあやめ[#「あやめ」に傍点]であった。
「古沼から蝮を捕らえて来て、この座敷へ投げ入れて、直々お父様を殺した汝《おのれ》! 今度こそ遁さぬくたばれくたばれ[#「くたばれくたばれ」に傍点]!」
 勘兵衛の体が二階へ上るや、あやめ[#「あやめ」に傍点]は勘兵衛に引導を渡し、脇差で勘兵衛の咽喉をえぐった。
 ある時は主馬之進の若党となり、ある時は見世物の太夫元となり、ある時は荏原屋敷の僕《しもべ》となり、又ある時は松浦頼母の用心棒めいた家来となって、悪事をつくした執念深い、一面道化た勘兵衛も、今度こそ本当に殺されたのであった。

 なお階下《した》にいる敵《かたき》の輩下を、討って取ろうと主税[#「主税」は底本では「主悦」]やあやめ[#「あやめ」に傍点]達が、二階から階下へ駈け下りるや、飛田林覚兵衛が先ず逃走し、その他の者共一人残らず、屋敷から逃げ出し姿を消してしまった。
 こうして今までは修羅の巷として、叫喚と悲鳴とで充たされていた屋敷は、静寂の場と化してしまった。わけてもあけず[#「あけず」に傍点]の館の二階は、無数の死骸を抱いたまま凄じい静かさに包まれていた。
 と、その部屋へ雨戸の隙から、子供
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