のような物が飛び込んで来た。
 それは藤八猿であった。
 乱闘の際に懐中《ふところ》から落とした、主税[#「主税」は底本では「主悦」]の持っていた淀屋の独楽が、部屋の片隅にころがっているのへ、その藤八猿は眼を付けると、それを抱いて部屋を飛び出し、雨戸の隙から庭へ下り、さらに林の中へ走り込んだ。
 でも古沼の縁まで来た時、その独楽にも飽きたと見え、沼を目掛けて投げ込んだ。
 と独楽は自ずと動いて、小島の方へ進んで行った。飛加藤の亜流が超自然の力で、独楽を島の方へ招いたのでもあろうか。いややはり長虫が巻き付いていて、島の方へ泳いで行ったからである。

 お八重よりも一層生死を共にし、苦難に苦難を重ねたところの、あやめ[#「あやめ」に傍点]と主税[#「主税」は底本では「主悦」]とは夫婦になり、一旦は辛労で気絶したものの、息吹き返した貞婦の松女や、妹娘のお葉と一緒に、荏原屋敷に住むようになったのは、それから間もなくのことであり、そういう事実をさぐり知り、主税[#「主税」は底本では「主悦」]との恋を断念したお八重は、父の許秩父の山中へも帰らず、飛加藤の亜流の弟子となり、飛加藤の亜流に従って、世人を説き廻ったということである。
 淀屋の財宝はどうなったか? 一つに集まった独楽と一緒に、いぜんとして古沼の島の中にあるか、飛加藤の亜流やお八重の手により、他の場所へ移されたか? 謎はいまだに謎として、飛加藤の亜流とお八重以外には、知る者一人もないのであった。しかし飛加藤の亜流の教義が、その後ますます隆盛になり、善人に対し善事に対し、飛加藤の亜流は惜気もなく、多額の金子を与えたというから、淀屋の財宝はその方面に、浄財としてあるいは使われたのかもしれない。
 松女がその後有髪の尼として、清浄の生活を継続し、良人や主馬之進をとむらいながら、主税[#「主税」は底本では「主悦」]夫婦やお葉によって孝養されたということや、お葉が良縁を求めながら、その優しい心持から、藤八猿を可愛がり、いつまでも手放さなかったというようなことは、あえて贅言する必要はあるまい。



底本:「国枝史郎伝奇全集 巻六」未知谷
   1993(平成5)年9月30日初版発行
初出:「講談雑記」
   1936(昭和11)年1月〜10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくってい
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