の消息《ようす》を知っているお葉が、居るかもしれない屋敷の構内から、不穏な物音の聞こえるということは、お八重にとっては心配であった。
(妾、屋敷内へ入って行ってみようか?)
でもどこから入れるだろう? 土塀を乗り越したら入れるかもしれない。
けれどそんなことをしているうちに、植木師の一隊は彼女を見捨て秩父山中へ行ってしまうにちがいない。
現に彼女が思案に余って、土塀を眺めて佇んでいる間に、植木師の一隊は彼女から離れて、一町も先の方を歩いているのだから。……
(どうしよう? どうしたらよかろう?)
地団太を踏みたい心持で、彼女は同じ所に立っていた。
でも、間もなく彼女の姿が、土塀に上って行くのが見えた。
恋人の消息が知れるかも知れない。――この魅力が荏原屋敷へ、彼女をとうとう引き入れたのであった。
月光に照らされたお八重の姿が、閉扉《あけず》の館の前に現われたのは、それから間もなくのことであった。
高い二階建ての館の二階へ、地上から梯子がかかってい、閉ざされている鎧のような雨戸が、一枚だけ開いている。そうして館の裏側と、館の屋内から人声や物音が、間断なく聞こえてくるようであった。
(やはり何か事件が起こっているのだよ)
お八重は二階を見上げながら、しばらく茫然《ぼんやり》と佇んでいた。
すると、あけられてある雨戸の隙から、薄赤い燈火《ともしび》の光が射し、つづいて人影が現われた。龕燈を持った老人で、それは「飛加藤の亜流」であった。
飛加藤の亜流は雨戸の隙から出て、梯子をソロソロと降り出した。
飛加藤の亜流が地へ下り立ち、お八重と顔を合わせた時、お八重の口から迸しり出たのは、「叔父様!」という言葉であった。
「姪か、お八重か、苦労したようだのう」
飛加藤の亜流はこう云って、空いている片手を前へ出した。
お八重はその手へ縋りついたが、
「叔父様、どうしてこのような所に……」
「わしは飛加藤の亜流なのだよ、どのような所へでも入り込まれるよ。……お前の父親、わしの実兄の、東海林自得斎《しょうじじとくさい》が極重悪木を利用し、自由に人が殺せるようにのう。……それにしてもわし達兄弟は、何という変わった兄弟であろう。徳川によって滅ぼされた、小西摂津守の遺臣として、徳川家に怨みを抱いていることは、わしも兄上も同じなのではあるが、兄上は魔神の世界に住んで、悪
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