かえとは! ……わたしは、あれから、毎日々々、涙の乾く暇もないほどに、後悔して後悔して……」
「お黙り!」と絹でも引裂くような声が、――あやめ[#「あやめ」に傍点]の声が遮った。
「わたしは先刻《さっき》から雨戸の隙から、お前さんたちの様子を見ていたのだよ。……お葉がお前さんを引っ張って、この二階へ連れて来ようとするのに、お前さんは行くまいと拒んでいたじゃアないか……ほんとうに後悔しているなら、日夜二階の部屋へ来て、香でも焚いて唱名して、お父様の菩提を葬えばよいのだ! ……それを行くまいとして拒むのは、……」
「あやめ[#「あやめ」に傍点]や、それも恐ろしいからだよ。……あのお方の怨みが恐ろしく、わたしの罪業が恐ろしく、その館が恐ろしく……」
「おおそうとも、恐ろしいとも! この館は今も恐ろしいのだ! ……恐ろしいのも色々だが、今のこの館の恐ろしさは、又もやむごたらしい[#「むごたらしい」に傍点]人殺しが、行なわれようとしていることさ!」
「また人殺しが? 誰が、誰を?」
「お前さんの良人の主馬之進と、主馬之進の兄の松浦頼母とが、たくさんの眷族をかたらって、わたしとわたしの恋しい人とを、この館へとりこめて、これから殺そうとしているのさ。……お聞き、聞こえるだろう、戸をこわしている音が! ……館の裏の戸をぶちこわして、この館へ乱入し、わたしたちを殺そうとしているのさ! ……あッ、しめた! いいことがある! ……お葉やお葉やその女を捉え、ここへおよこし、引きずり上げておくれ! 人質にするのだよその女を! ……もう大丈夫だ、殺されっこはない。その女を人質に取っておいたら、いかな主馬之進や頼母でも、わたしたちを殺すことは出来ないだろうよ。……」
松女の腕を捉《と》り引きずり引きずり、梯子を上るお葉の姿が、すぐに月光に照らされて見えた。
松女を中へ取り籠めて、あやめ[#「あやめ」に傍点]とお葉と主税とが、刀や短刀を抜きそばめ、闇の二階の部屋の中に、息を殺して突立ったのは、それから間もなくのことであった。
裏戸の破られた音が聞こえた。
乱入して来る足音が聞こえた。
間もなく階段を駈け上る、数人の足音が聞こえてきた。
「よし降り口に待ちかまえていて……」と、主税は云いすて三人を残し、階段の降り口へ突進して行った。
頼母の家来の一人の武士が、いつの間に用意したか弓張提燈
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