っている。勝手に生れ死んでいる。神! そんな物は存在しない」
イエスの行なう様々の奇蹟も、アラビヤ人の手品としか、ユダの眼には映らなかった。
そうしてそういう幼稚な奇蹟に、惑い呆れ驚嘆し、「イスラエルの救い」だと立ち騒ぐ、愚にもつかない狂信者や、そのイエスの奇蹟に手頼《たよ》り「神の国」を建てようとする愛国狂が、ユダの眼には滑稽に見えた。
ガリラヤの湖水が眼の下に見える美しい小さい丘の上で、またぞろイエスが手品を使い、五千人の信者を熱狂させ、その喝采の鳴り止まぬ中に、一人姿を眩ました時も、ユダは冷やかに笑っていた。
そのイエスがカペナウムの村で、こう信者達に説いた時には、ユダは本当に怒ってしまった。
「お前達が俺《わし》を尋ねるのは、パンを貰ったためだろう? だがお前達よそれは可《よ》くない。朽ちる糧のために働かずに、永生の糧のために働くがいい。……神は今やお前達へ、真のパンをお与えなされた。この俺こそそのパンだ。俺に来る者は飢えないだろう、俺を信ずる者は渇かないだろう」
「莫迦な話だ」とユダは思った。
「預言者どころの騒ぎではない。彼奴《あいつ》はひどい[#「ひどい」に傍点]
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