ると利休はますます笑い、
「いやいやそれは人にこそよれ、利休に限っては左様な賊に襲われる気遣いはございませぬ。アッハハハ、大丈夫でござる」
――とたんに奥庭の茂みから、
「そうばかりは云われまいぞ!」と、嗄《しわが》れた声で叫ぶ者があった。
ギョッとして二人がそっちを見ると、数奇を凝らした庭園の中、幽かに燈《とも》っている石燈籠の横に、「木隠の茶碗」と大書した紙を、ダラリと胸の辺りへ張り付けた例の気味の悪い磔柱が一本ニョキリと立っていた。
2
あまりのことに千利休は全然《すっかり》顔色を失ったが、心配の余り明日《あす》とも云わずその夜の中に御殿へ伺候し強いて秀吉に謁を乞い事の始終を言上した。
関白秀吉はそれを聞くとしばらく無言で考えて居たが、
「利休、茶碗はくれてやれ」
余儀なさそうにやがて云った。
「は、遣わすのでござりますか?」
「うん、そうだ、くれてやれ」
「木隠は名器にござります」
「千金の子は盗賊に死せず。こういう格言があるではないか。茶碗一つを惜んだ為、俺《わし》や其方《そち》に怪我があってはそれこそ天下の物笑いだ」
「とは云え殿下のご威光までがそのため損《きず》つきはしますまいか?」
「馬鹿を云え」と秀吉は云った。
「そんな事ぐらいで損つく威光なら、それは本当の威光ではない」
「いよいよ遣わすのでござりますか?」
まだ利休には未練がある。
「賊に茶碗を望まれて、そいつを俺がくれてやったと知れたら、俺の方が大きく見られる。……それに俺にはその泥棒がちょっと恐くも思われるのだ」
「殿下が賊をお恐れになる?」
利休はますます吃驚《びっくり》する。
「世間で何が恐ろしいかと云って、我無洒羅《がむしゃら》な奴ほど恐ろしいものはない」
「ははあ、ごもっともに存じます」
利休は始めて胸に落ちたのである。
大阪市外阿倍野の夜は陰森として寂しかった。と、数点の松火《たいまつ》の火が、南から北へ通って行く。同勢百人足らずである。それは晩秋深夜のことで寒い嵐がヒュー、ヒューと吹く。斧を担《かつ》ぎ掛矢を荷い、槍薙刀を提《ひっさ》げた様子は将しく強盗の群である。
行手にあたって十八九の娘がにわかに胸でも苦しくなったのか、枯草の上に倒れていた。夜眼にも美しい娘である。
「や、綺麗な娘ではないか」
「こいつはとんだ好《い》い獲物だ」
「それ誰か引担いで行け
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