「ほほう左様か。玄海はどうだ?」
「やはり弱気に過ぎまする」
「其方随意に選ぶがよい」
「殿のご愛馬将門栗毛を、拝借致しとう存じます」
「何、将門? ううむ将門か?」
 最所治部は眼を顰めた。将門栗毛は治部にとっては生命《いのち》に次いでの秘蔵の名馬で、誰にもこれ迄借したことはない。――随意に選べと云った手前、今さらしかし貸さないとは云えない。
「おおよかろう、将門をせめろ[#「せめろ」に傍点]」
 そこで将門は引き出された。丈高く肥え太り、鬣荒く尾筒長く、生月《いけづき》、磨墨《するすみ》、漢の赤兎目《せきとめ》もこれまでであろうと思われるような、威風堂々たる逸物であったが、岡郷介は驚きもせずひらりとばかり跨《またが》るとタッタッタッタッと馬場を廻る。
「見事々々」と最所治部は思わず感嘆して声を掛けたが、途端に郷介一鞭くれると馬場の木柵を飛び越した。
「ワッハハハハ」と哄笑の声が郷介の口から迸《ほとばし》ったが、
「最所殿、治部殿、最所治部め! 大馬鹿殿の迂濶者め、郷介これでお暇申す! 将門栗毛は引出物、拙者この儘頂戴致す。さりとてお礼は申さぬ意《つもり》、口惜しく思わば取り返しめされ! これ迄明かせば浮田家の内情、あれは悉皆出鱈目じゃ。さて拙者はここを立ち退き船山城へ伺候致し須々木豊前殿へ仕官する所存、苦情があらば遠慮なく船山城の方へ申し越されい。永居は惶《おそ》れハイ左様なら!」
 云い捨てクルリと馬の首を東南へ向けて立て直すと、颯《さっ》とばかりに走らせた。人馬諸共一瞬の後には木陰へ隠れて見えなくなった。

 戦国時代の武将達は一芸に秀でた武士と見ると善悪を問わず抱えたものである。で、郷介は何の苦もなく須々木豊前守に抱えられたが、これを怒ったのは最所治部で、治部は直ちに使者を遣わし、岡郷介を取り戻そうとした。しかし須々木家では相手にしない。
「岡郷介と宣《なの》る武士、当城内には決して居らぬ」
 これが須々木家の返事であった。
 治部たる者ますます怒らざるを得ない。
「郷介の父の郷左衛門を船山城の大手へ連れ行き、磔《はりつけ》柱へ付けてしまえ!」
 踴り上り踴り上り最所治部は狂人のように叫んだものである。


 郷介が最所家を逐転[#「逐転」はママ]して以来、父郷左衛門は観念して死の近付くのを待っていた。いよいよその日が遣って来ると、彼は下僕の杢介《も
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