持ち、中央にいる二人の小男が、蛇味線《じゃみせん》を撥《ばち》で弾いていた。
 頭領と見える四十五六の男は、さすがに黒革の鎧を着、鹿角《かづの》[#ルビの「かづの」は底本では「かずの」]を打った冑《かぶと》を冠り、槍を小脇にかい込んでいた。
 この一党は何物なのであろう? いわば野武士と浪人者と、南朝の遺臣の団体《あつまり》なのであった。応仁の大乱はじまって以来、近畿地方は云う迄もなく、諸国の大名小名の間に、栄枯盛衰が行なわれ、国を失った者、城を奪われた者が、枚挙に暇ないほど輩出した。その結果禄に離れた者が夥《おびただ》しいまでに現われた。すなわち野武士浪人が、日本の国中に充ちたのである。それ以前から足利幕府に、伝統的に反抗し、機会さえあったら足利幕府に、一泡吹かせようと潜行的に、策動している南朝方の、多くの武士が諸方にあった。すなわち新田《にった》の残党や、又、北畠《きたばたけ》の残党や、楠氏《なんし》の残党その者達である。で、そういう武士達は、時勢がだんだん逼塞し、生活苦が蔓延するに従い、個人で単独に行動していたのでは、強請《ごうせい》、押借《おしがり》というようなことが、思うよう
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