に効果があがらなくなったのと、いうところの下剋上《げこくじょう》――下級《した》の者すなわち貧民達が、上流《うえ》の者を凌ぎ侵しても、昔のようには非難されず、かえって正当と見られるような、そういう時勢となったので、そこで多数が団結し、何々党、何々組などと、そういう党名や組名をつけて、※[#「てへん+晉」、第3水準1−84−87]紳《しんしん》の館や富豪の屋敷へ、押借りや強請に出かけて行くことを、生活の方便とするようになった。
ここへ行く一団もそれであって、「あばら組」という組であり、頭目は自分で南朝の遺臣、しかも楠氏の一族の、恩地左近《おんじさこん》の後統である、恩地雉四郎であると称していたが、その点ばかりは疑わしかったが、剽悍の武士であることは、何らの疑いもないのであった。
この一団が傍若無人に、それほど夜も更けていないのに、京都の町をざわめきながら、小走りに走って行くのであった。
4
調度掛にかけてある弓箭《きゅうぜん》を眺め、しばらく小首を傾けている、日置正次《へきまさつぐ》の耳へ大勢の人声が、裏庭の方から聞こえてきたのは、それから間もなくのことであった。
(はてな?)と
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