若武士は膝を揃えて坐った。疲労た足を癒すには、端坐するのがよいからであった。


 こうしてしばらく時が経った。と、その時裏庭の方から、清らかな若い女の声で、今様めいた歌をうたう、歌の声が聞こえてきた。
(はてな?)と若武士は耳を澄ました。
[#ここから3字下げ]
※[#歌記号、1−3−28]荒れし都の古館、見れば昔ぞ忍ばるる、蓬《よもぎ》が原に露しげく、啼くは鶉《うずら》か憐れなり
[#ここで字下げ終わり]
 それはこういう歌であった。若武士は当然意外に感じた。
(このような荒れ果てた館の庭で、歌をうたう女があろうとは? さては無住ではなかったのか?)
 で若武士は立ち上り、部屋を出て縁へ立った。星明りの下に見えたのは、荒れた館にふさわしく、これも荒れ果てた裏庭で、雑草は延びて丈《じょう》にも達し、庭木は形もしどろ[#「しどろ」に傍点]に繁って、自然の姿を呈して居り、昔は数奇を谷《きわ》めたらしい、築山、泉水、石橋、亭、そういうものは布置においてこそ、造庭術の蘊奥《うんおう》を谷めて、在る所に厳として存在していたが、しかしいずれも壊れ損じ、いたましい態《ざま》を見せていた。
 と、白衣《びゃくえ》の丈の高い女が、水のない泉水の岸のほとりを、築山の方へ歩いていた。
(あれだな)と若武士は突嗟に思い、少しはしたなく[#「はしたなく」に傍点]は思ったが、そこに穿物《はきもの》がなかったので、跣足《はだし》のままで庭へ下り、驚かせたら逃げるかもしれない、こう何となく思われたので、物の陰から物の陰を伝い、女の方へ近寄って行った。しかし泉水の岸のほとりまで、その若武士が行った時には、女の姿は見えなかった。
(築山《つきやま》の向こうへでも行ったのであろうか)と思って若武士は先へ進んだ。
 と、突然老人の声が、築山の方から聞こえてきた。
「参るぞーッ」という声であった。
 途端に烈しい弦音《つるおと》がした。
「うん!」
 気合だ! 気合をかけて、若武士は持っていた鉄扇で、空をパッと一揮した。足下《あしもと》に落ちたものがある。平題《いたつき》の箭《や》であった。
「お見事!」と女の声が聞こえた。築山の方から聞こえたのである。
 と、又老人の声がした。
「もう一條《ひとすじ》参る、受けて見られい」
 ふたたび烈しい弦音がした。
「うん」と全く同じ気合だ。気合をかけて若武士は、
前へ 次へ
全12ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング