難いことには相違なかったが、それにしても老人の世話のしかたが、あまりにも唐突であったので、そこで唖然としたのであった。唖然としたが、それがために、老人の好意を無にしたり、老人の言葉を疑うような、そんな卑屈な量見を、その若武士は持っていないと見えて、云われたままの道を辿り、云われたままの館の前に立った。
さてここは館の前である。
もうこの時は初夜であって、遅い月はまだ出ていなかった。
で、細かい館の様子は、ほとんど見ることが出来なかったが、桧皮葺《ひはだぶき》の門は傾き、門内に植えられた樹木の枝葉が、森のように繁っていた。取り廻された築地《ついじ》も崩れ、犬など自由に出入り出来そうであった。旅宿といったような造りではなかった。
(これは変だな)と思ったものの、そのことがかえって若い武士の、好奇の心をそそったらしく、立ち去らせる代わりに門を叩かせた。
と、叩いた手に連れて、門が自ずと少し開いた。
(不用心のことだ)と思いながら、若武士は門内へ入って行った。鬱々と繁っている庭木の奥に、いかめしい書院造りの館が立っていた。桁行《けたゆき》二十間、梁間《はりま》十五間、切妻造り、柿葺《こけらぶき》の、格に嵌まった堂々たる館で、まさしく貴族の住居であるべく、誰の眼にも見て取れた。しかし凄じいまでに荒れていて、階段まで雑草が延びていた。
森閑《しん》として人気もない。勿論|燈火《ともしび》も洩れて来ない。何となく鬼気さえ催すのであった。しかし応仁の大乱は、京都の市街を戦場とした、市街戦であったので、この種の荒れ果てた館などは、どこへ行っても数多くあり、珍しいものではなかったので、若武士は躊躇しなかった。
「ご免下され、お取次頼む」
こう高声で呼《よば》わった。が、返辞は来なかった。そこで若武士はさらに呼んだ。三度四度呼んで見た。が、依然として返辞はなかった。
「やれやれ」と若武士は呟《つぶや》いた。
「これはどうやら無住の館らしい。とするとどうしてあの老人は、こんな所を世話したのであろう?」
これからどうしようかと考えた。足も疲労《つかれ》ていたし気も疲労ていた。で、無住の館なら、誰にも遠慮することもない。ともかくもしばらく休息して行こう。こう考えて玄関を上った。二ノ間一ノ間を打ち通り、奥の間へ来て佇んだ。燈火のない屋内は、ひたすらに暗く何も見えなかった。
そこで
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