一人の男がやって参りましたが、お台所ちかくまで参りますと、にわかに呻《うめ》き声をあげて、地へ倒れたではございませんか。驚いてわたしは引き返し、その男の側へ参り、顔を覗《のぞ》きこみましたところ、例の男だったのでございます。
(さてはこの男ここでまた一芝居《ひとしばい》を……)
 と、胸にこたえる[#「こたえる」に傍点]ところがありましたので、いっそ蹴殺してやろうかと足を上げました。

      四

 ところが、お台所口から射し出している燈《ひ》の光で、その男の地に倒れている姿が、女中衆や下男衆に見えたとみえて、飛び出して来て、
「可哀そうに」
「行き倒れだね」
「自身番へ知らせてやんな」
「何より薬を」
「水を持って来い」
 などと、口々に言って、その男の介抱にかかったではありませんか。その騒がしさに不審を打ちましたものか、持田様のお嬢様と、そのお気に入りのお上女中《かみじょちゅう》のお柳さんというお方が、奥から出て参られ、
「気の毒だから家《うち》へ入れて介抱してあげたがいいよ」
 と言われました。下男衆がその男をかかえて、家の中へ運んで行く時、その男の顔を覗き、
「好《い》い
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