ど、私のためなど」
 咽び泣くような声であった。
「ただ私はお父様のために……」
「娘よ」と武士の声がした。「同時に私のためにもなるよ」
「参るどころではございません。お父様のおためになりますのなら」
 ここでまたもや声が絶えた。
 で、ひっそりと静かである。
 ピシッ! と刎ねる音がした。
 泉水で鯉でも刎ねたのだろう。
 やっぱり静かだ。風も止んだ。
 と、また娘の声がした。
「恋の囮《おとり》! 恋の囮!」
「いや」とすぐに武士の声がした。「幸福の囮! 幸福の囮!」
 だが娘は反対らしい。「金の囮でございます!」
「仕方がないのだ、そういうことも。……この世に生きている以上はな」
「でもいつまでもお父様と、一緒に暮らすことが出来ましたら……」娘の声は思慕的であった。
「思うところはございません」
「それが……」と武士の声がした。たしなめるような声であった。「こういう受難を産んだのだよ」
「可哀そうな可哀そうなお母様!」
「だが私達も可哀そうだった」
「虐《しいた》げられたのでございますから」
「で、それから逃がれなければならない。そうしてその上へ出なければならない」
「逃がれなけ
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