参りをした。どうしたものか三河の国の御油《ぎょゆ》の駅路近くやって来た時に、道を迷ってあらぬ方へ行った。そうして寂しい山村へ来た。おりから夕暮れで豪雨が降り、どうすることも出来なかったので、豪家らしい屋敷の門際《もんぎわ》に佇《たたず》み、雨のやむのを待っていた。するとそこへ上品な老人が供を連れて通りかかったが、弥兵衛を見ると親切に声かけその屋敷へ伴なった。老人はその屋敷の主人なのであった。弥兵衛は町人の伜《せがれ》であり、母一人に子一人の境遇、美貌であり品もあり穏《おとな》しくもあったが、どっちかといえば病身で、劇《はげ》しい商機にたずさわることが出来ず、家に小金があるところから、和歌俳諧茶の湯音曲、そんなものを道楽にやり、ノンビリとしてくらしていたので、どこか鷹揚のところがあった。
 屋敷の主人は弥兵衛のために、驚くばかりの馳走をし、茶菓を出し酒肴をととのえ、着飾った娘のおきたをさえ出し、琴を弾かせて饗応《もてな》した。
 こういうことが縁となり、弥兵衛とおきたとは恋仲となり、おきたは弥兵衛へあけすけ[#「あけすけ」に傍点]に云った。
「妾を連れて逃げてくださりませ」と。
 大家の
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