直参の若い武士と、夫婦になることが出来るのである。
(茶汲み女として囃《はや》されても、そんな人気はひとしきり、妾の素性が知れようものなら、あべこべに爪はじきされるだろう。それより好きな人と他国へ落ちて、安穏に一緒にくらした方が……)
 どんなによいかと思われるのであった。
 宿を出外れると松並木で、人通りなどはほとんどなく、夜啼き蝉の滲み入るような声が、半かけの月の光の中で、短い命を啼いていた。
 その時|背後《うしろ》から足音がした。
 あたりに気を置く落人《おちゅうど》であった。そっとおきたは振り返って見た。
 網代の笠を傾けて、おきたを見つめながら例の新発意がすぐの背後《うしろ》を歩いて来ていた。
「あ」
 おきたは三十郎へ縋った。
「あの坊主を殺して……そうでなければ……妾は……お前とは……添われぬ! ……添われぬ! ……」
 抜き打ちにしようと三十郎は、刀の柄へ手をかけた。
(わしは殺される、わしは殺される!)
 と、そのとたんに源空は観念した。
 するとその瞬間に過去のことが、一時に彼の脳裡に浮かんだ。

        三

 二十五の時の弥兵衛であった。お伊勢様へ抜け
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