が、それがかえって情的でもある、難波屋《なんばや》おきたは小判を見ながら、辞儀をしたものの眉をひそめた。
(この人微禄の身分だのに、随分派手にお金を使う)
こう云う不安があったからである。
いつも媾曳《あいびき》をするこの船宿にも、かなりの払いをするようだし、そのほか色々あれやこれや……。
「ねえ」
とおきたは甘えた声の中へ真面目さをこめて男へ云った。
「無理な算段などなされずにねえ」
「大丈夫だよ、大丈夫だよ」
今日も浅草随身門内の、水茶屋難波屋の店に立って、おきたは客あしらいに余念なかった。
白飛白《しろがすり》を着たおきたの姿が、豊国によって描かれて、それが市中へ売り出されたのは、ほんの最近のことであり、飛ぶように売れて大評判であった。
来る客来る客が噂して褒めた。
「左の手に団扇《うちわ》を提げ、右手に茶盆を捧げた、歌麿の描いた絵もよかったが、今度のはまた一段とねえ」
などと云うものがあるかと思うと、
「襦袢の襟《えり》に鹿《か》の子をかけ、着物の襟へ黒繻子をかけ、斜めに揃えた膝の上へ、狆《ちん》を一匹のっけたところを描いた、栄之の一枚絵もよかったが、今度のはい
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