すくんで、自分の歌うべきその歌を、仇の口から聞いている。
女子 ええ、ええ、ただ聞いている。
従者 ただ聞いているばかり、どうすることも出来なかったのでござります。(間)いま少しお聞き下さいまし――このもの凄い静寂の後に、暴風よりも荒々しい喧騒の幕が開かれました。それは拍手と感嘆と、褒めののしる声でござります。数え知られぬ室内の人々は皆一様に老人の、神のような妙曲に対し、月桂冠を与えよと、叫び出したのでござります。――やがて数千の花輪花束が老人の身の周囲に飛びまわり、あらゆる楽器が一時に鳴り出し、それが皆賞讃の曲を歌い、最後の勝利者たる老人の名誉と幸福とを讃えました。そして絶えず人々は、月桂冠を彼に与えよと、ののしるのでござります。――たちまち、第三の鐘はつきならされ、高殿へは紅い灯が点ぜられました。――お嬢様! 貴女様の良人《おっと》となる人が、仮にもせよその時定まったのでござります!
女子 (身を震わせ)私の良人が!
従者 白髪の老人が、曲を盗んだ老人が、お嬢様の良人となるべき人でありますぞ!
女子 ええ、ええ!
従者 けれども悲劇の幕は、それからでございました。お嬢様! 若様の横
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