あの女子《おなご》がそう申した。
従者 不思議のことでござりますな。(と考える。この時、領主の一人息子にして、先妻の遺子たる公子の住する、高殿よりバイオリンの音聞こゆ)
領主 (耳をすまし)あれは誰が弾くのだろうな。
従者 (高殿を見上げ)若様でござります。
領主 (耳を澄ませるまま)あの切れ切れに鳴る悲哀の音は、確かに短ホ調だ。
従者 涙のこぼれるような音でござりまする。
領主 (耳を澄ましながら窓を離れ、高殿に近寄り)、そうだ確かに短ホ調だ、ああ短ホ調が歌《な》っている。
従者 何んと歌っているのでござりましょう。
(領主無言にて耳を澄ます。従者もその後にひき添って耳をすます。バイオリンの音に連れて、死に行く人魚の歌聞こゆ)

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幻《まぼろし》の美しければ
海の乙女の、
あわれ人魚は
舟を追う、
波を分けて舟を追う、
月は青褪めぬ、
屍に似たる水の色。
[#ここで字下げ終わり]

領主 (驚きにうたれ)あれは「死に行く人魚」の歌だ。
従者 (声をふるわせ)ああ悪い前兆でござります。
領主 一度も歌ったことのないあの歌を、今日に限ってあれが歌うとは、どうしたこ
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