命はもと毫も国民的感情に関係なく、その鋒もっぱら旧慣の破壊に向かい、封建論を唱うる者を死刑に処したるがごときの点より見れば、むしろ国民的感情に反対するの観ありき。しかれども国民的政治は国民統一をもってその一条件となす。封建遺制の錯雑を一掃して、かの宣言書にいわゆる単一不分の共和国を立つるは、日本の維新改革に近似して内部における国民的精神の発達と言うべし。すでにして仏人の国民精神すなわち愛国心はその適度を越えてほとんど非国民精神を呼び起こしたり。宣言の一条たる四海兄弟の原則は端なく国民といえる藩籬《はんり》を忘れしめ、共和国の兵は国の異同を問わずただ暴君に向かうべしと大叫するに至りたり。ここにおいて欧州諸国はさきにローマ教皇の威力に脅かされたるごとく、その第二として仏国革命の威力に脅かされ、ふたたび国民的感情の挫折に遭遇せり。しかしてこの恐るべき威力に対してはまた反動を来たすこと自然なりと言うべし。欧州人はすでに革命の思想に流圧せられたり、しかれどもその自由を保ちその幸福を全うせんには彼らいたずらに革命党の力を借りて一時に快を取るの不得策を感知せり、彼らは国民的精神をもって国民の統一を謀り、しかして国民的政治を建つるの必要に迫られたり。国民的精神はここに至りてふたたび活動し、宗教の異同はもちろん、政論の異同にかかわらず、国籍を同じくするものがともに団結を固くして一致するの至当を認む、吾輩はこれを国民的精神の第二変遷とす。
   その軍事的変遷
 革命の騒乱すでに鎮《しずま》りたり。希世の英雄ナポレオン第一世は欧州全土を席巻したり。南地中海岸より北スカンジナーヴに至るまで大小の諸国は仏国の旗色を見て降を請い、万乗の王公は仏国武官の監督を受けてわずかにその位を保ちその政を執ることを得たり。ここにおいて欧州人の国民的精神は第三回の挫折をなし、ほとんど「国民」と称する団体を「地方」と言える無形人のごとくに感知するに至れり。法律制度より言語礼習に至るまで人々みな仏国の風に倣い、偸安姑息《とうあんこそく》の貴族輩に至りては争いてナポレオン帝に臣事せんことを望む。欧州の国民的精神はすでに二回の挫折を経たりといえども、いまだこの回のごとくにはなはだしきことはあらざりき。この回の挫折はほとんど社会の根柢にまで動揺を来たし、当時欧州諸邦が仏国勢力を感受したるさまはなお日本がさきに欧州勢力を感受したる時のごとし。
   泰西における国民論派の発達
 かかるはなはだしき挫折に対し争《いか》でかその反動の起こらざるべき。当時ドイツの学者ラインホールド・シュミード氏の著わせし記述にいわく、
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 仏国のかかる待遇は久しく眠りたるドイツ国民的感情を喚醒するに至れり。一八〇六年において恥ずべき敗北を取りし後、ドイツ人はその屈辱を雪《そそ》がんがため国民的精神と言える造兵場につきて新兵器を捜索したり。さきに国民旨義を排斥して冷淡なる感情または狭隘なる思想とまでに公言したるフィフテ氏といえども、この実勢を見てかの有名なる演説、「ドイツ国民に告ぐ」と題する有名の演説をなし、切に国民的感情を喚起して、この感想あるにあらざれば、自国の安寧を保つあたわずとまでに切言したり。
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 イタリアの学者ジョゼフ・ド・メストル氏の『外交通信録』もまた当時の著述に係れり。その一節に言えるあり、いわく、
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 国民と言える事柄は世界においてゆるがせにすべからざる事柄なり。礼容においても感情においても、また利益においても、国民と言える思想は一日もゆるがせにすべからず、〔中略〕各国民を統一することは地図の上において別に困難を覚えず。しかれども実際においてはまったく反対なり。世にはとうてい混一すべからざる国民あり。現にイタリアの国民的精神は今日正に激動するにあらずや。
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 かくのごとく欧州の諸学者は当時ナポレオンの軍事的勢力に反動して国民論派を拡張したり。この論派がついに勝利を占めて欧州諸国は互いにその特立を全うし、ドイツおよびイタリアのごときは当時非常の屈辱に遭いしにもかかわらず、今日は世界強国の中に算入せらる、これ一に国民的精神の発達に因らずんばあらず。
   泰西国民論派の本領
 泰西国民的精神の変遷すでにかくのごとし。その国民論派の功績またかくのごとし。されば泰西にありてはナショナリテーの原則をもって鎖国主義・攘夷主義となすものいまだこれあらざるなり。ただにこれあらざるのみならず、むしろこの原則をもってするにあらざれば自由および幸福を全うすべからず。また国民の進歩を望むべからずと言うに至る。けだし国民論派は排外的論派にあらずして反りて博愛的論派なり。保守的論派にあらずしてむしろ進歩的論派なり。百年前に現われたる旧論派にあらずして実に近時に生じたる新論派なり。わが国民論派の欧化主義に反動して起こりたるは、なお彼の国民論派の仏国圧制に反動して起こりたるがごときのみ。日本人民が欧州の文化に向かって伏拝したることはまさに欧州諸邦の人民が仏国の兵威に向かって伏拝したると同一般なり。されば国民論派の日本に起こりし原因はその欧州に起こりし原因と比較して、ただ文力と武力との差違あるに過ぎず。
   日本における国民論派の大旨
 世界と国民との関係はなお国家と個人との関係に同じ。個人といえる思想が国家と相容るるに難からざるがごとく、国民的精神は世界すなわち博愛的感情ともとより両立するにあまりあり、個人が国家に対して竭《つく》すべきの義務あるがごとく、国民といえる高等の団体もまた世界に対して負うべきの任務あり。世界の文明はなお社会の文明のごとく、各種能力の協合および各種勢力の競争によりてもってその発達を致すものたるや疑いなし。国民天賦の任務は世界の文明に力を致すにありとすれば、この任務を竭さんがために国民たるものその固有の勢力とその特有の能力とを勉めて保存しおよび発達せざるべからず。以上は国民論派の第一に抱くところの観念にして、国政上の論旨はすべてこの観念より来る。国民論派はその目的をかかる高尚の点に置くがゆえに、他の政論派のごとく政治一方の局面に向かって運行するものにはあらず、国民論派はすでに国民的特性すなわち歴史上より縁起するところのその能力および勢力の保存および発達を大旨とす。されば或る点よりみれば進歩主義たるべく、また他の点より見れば保守主義たるべく、けっして保守もしくは進歩の名をもってこれに冠することを得べからず。かの立憲政体の設立をもって最終の目的となすところの諸政論派とはもとより同一視すべからず。これすなわち国民論派の特色なり。
   政事における国民論派の大要
 国民的政治〔ナショナル・ポリチック〕とは外に対して国民の特立を意味し、しかして内においては国民の統一を意味す。国民の統一とはおよそ本来において国民全体に属すべきものは必ずこれを国民的《ナションナール》にするの謂なり。昔時にありてはいまだ国民の統一なるものあらず、そのこれあるがごときはただ外観に過ぎずして、さらに実相を見れば一種族・一地方または一党与の専恣たることを免れざるなり。帝室のごとき、政府のごとき、法制のごとき、裁判のごとき、兵馬のごとき、租税のごとき、およそこれらの事物はみな本来において国民全体に属すべきものとす。しかるに昔時にありてはかかる事物みな国民中の一部に任してその私領となせり。これ国民統一の実なきものなり。国民論派は内部に向かいてこの偏頗および分裂を匡済せんと欲す。されば国民的政治とはこの点においてはすなわち世俗のいわゆる輿論政治なりと言うべし、「天下は天下の天下なり」と言える確言をばこれを実地に適用し、国民全体をして国民的任務を分掌せしめんことは国民論派の内治における第一の要旨なりとす、この理由によりて国民論派は立憲君主政体の善政体なることを確定す。
   国民論派と他の諸論派
〔第一〕国民論派は立憲政体すなわち代議政体を善良の政体なりと認むれども、その善政体たるゆえんはまったく国民的統一をなすの便法たるをもってなり。他の政論派はみないわく、「代議政体はもっとも進歩せる政体なり、文明諸国において建つるところの文明政体なり、十九世紀の大勢に適応する自由政体なり、ゆえに日本もこの大勢に応じて東洋的政体を変改すべし」と。国民論派もまたその然るを知る。しかれどもかかる流行的理論を趁《お》いて軽々しく政体その他の変改を主張することは国民論派のあえてせざるところなり。何となればこの論派はいたずらに改革そのものを目的とするにあらず。しかしてむしろ改革より生ずべき結果を目的とするものなればなり。
〔第二〕国民論派は立憲政体をもって最終の目的となすものにはあらず。これまた他の政論派と大いに異なるところの一点なり。他の論派は進歩主義の名をもって立憲政の施行を主張し、自由主義の名をもって代議政の設立を主張す、しかれども国民論派は国民的任務を尽くさんがために国民全般にこの任務を負わしめんことを期し、この期望よりして代議政体の至当を認む。代議政すなわち立憲政は他の論派にありては最終の目的なれども、国民論派にありては一の方法たるに過ぎず。しからばその目的はいかん、いわく、「国民全体の力をもって内部の富強進歩を計り、もって世界の文明に力を致さんこと」これその最終の目的なり。ゆえにこの論派は国家または個人の観念を取りてその一方に偏依するがごときことあらず。国の情態に応じ国家の権力と個人の権利とを調和し、これをして偏依の患なからしめんことを期す。何となればその偏依あるいは自由を破滅し、あるいは秩序を紊乱《びんらん》し、しかして国民的統一を失えばなり。
〔第三〕国民論派は社会百般の事物についてのごとく、政治法律の上についても国民的特立を必要の条件となす。けだしこの論派はつねに史蹟を考量の中に算え各国民の間に制度文物の異同あることをば確認せり、しかのみならず強固なる国民はその一国民たるの表標として特別の制度を有するの至当なるを確認せり。このゆえに代議制度はもと泰西より取りきたるにもせよ、一旦これを日本に移植する上は必ずこれに特別の色容を付し、日本国民とこの制度との密着を図らざるべからず、これまた国民論派の他論派に異なるところの特性なり。元来代議政体は英国をもってその創立者となす。しかれどもこれを仏国に移したる後はついに仏国的色容を帯び、これを独国へ移したる後はまた独国的色容を帯ぶ。しかしてその代議制度たるゆえんに至りてはみな同じ、国民論派は立憲政体を日本的にして世界中に一種の制度を創成せんことを期するものなり。
   国民論派の内政旨義
 立憲政体に対する国民論派が他の論派と異なるところの諸点は以上に述べたるがごとし。要するに国民論派は単に抽象的原則を神聖にしてこれを崇拝するものにあらず。まず国民の任務を確認してこれに要用なるものを採択し、もって国政上の大旨を定むるものなり。自由主義は個人の賦能を発達して国民実力の進歩を図るに必要なり、平等主義は国家の安寧を保持して国民多数の志望を充たすに必要なり、ゆえに国家論派はこの二原則を政事上の重要なる条件と見做す。あえてその天賦の権利たりまたは泰西の風儀たるがゆえをもってするにはあらざるなり。専制の要素は国家の綜収および活動に必要なり、ゆえに国民論派は天皇の大権を固くせんことを期す。共和の要素は権力の濫用を防ぐに必要なり、ゆえに国民論派は内閣の責任を明らかにせんことを期す。貴族主義は国家の秩序を保つに必要なり、ゆえに国民論派は華族および貴族院の存立に異議を抱かず。平民主義は権利の享有を遍《あまね》くするに必要なり、ゆえに国民論派は衆議院の完全なる機制および選挙権の拡張を期す。個人の力を用いてあたわざるものには干渉もとより必要なり、国家の権を施して反りて害あるものには自治もとより必要なり。国民論派はあえて抽象的理論を藉《か》り、もって一切の干渉を非し、また一切の自治を是とするものにあらず。要は国民の統一お
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