近時政論考
陸羯南

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)尋繹《じんえき》

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(例)相|支吾《しご》する

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(例)惨※[#「激」の「さんずい」に代えて「石」、73−上−16]《さんかく》
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    序

 モンテスキューいわく、「予の校を去るや数巻の法書を手にせり、しかしてただその精神を尋繹《じんえき》せり」と。ボルドー議会の会長たるとき、いわく、「予は議場において身に適するの地位なきを知る、議題は予これを詳悉するを難《かた》んぜず、しかも議事規則に至りては毫《ごう》も会得するところあらず、予は会長としてこれに注意せざるにあらざれども、いわゆる伎倆なるもののきわめて陋愚なるを悟り、しかしてなお揚々として座を占むるに堪えざるなり」と。すなわち職を辞してもっぱら政理の究察に従事せり。ああ、これ先生の一世の知識を開拓して余りありし所以《ゆえん》なるか。ヴォルテル称揚して言えらく、「人類の偉業を失うや久し、モ君出でてこれを回復しこれを恢張せり」と。陸羯南の人となり、真に先生に彷彿《ほうふつ》たるものあり。峭深《しょうしん》の文をもって事情を穿《うが》ち是非を明らかにするは韓非に似て、しかしてしかく惨※[#「激」の「さんずい」に代えて「石」、73−上−16]《さんかく》ならず。もし不幸にして萎爾《いじ》するなくば、必ず東洋の巨人たらん。かつて『近時政論考』の著あり、余の意想を啓発すること鮮少ならざりき。多謝。
[#地から1字上げ]三宅雄二郎識
  明治二十四年五月
[#改ページ]

    例言

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一、本篇は昨明治二十三年八月九月の交において著者病中に起稿し、わが『日本』に漸次掲載せしところのものを一括せしに過ぎず。著者講究の粗漏よりして、あるいは諸論派の本旨を誤認せしものなきにあらざるべし。識者誨教を惜しむなかれば幸甚のみ。
一、本篇もとより日刊新聞の社説欄を埋むるために起草せしものなれば、したがって草し、したがって掲げ再閲の暇あるべきなし。別に一冊となして大方に示さんとの望みは著者はじめよりこれを有せず。しかれども読者諸彦のしばしば書を寄せて過当の奨励をなすもの往々これあるにより厚顔にもここにふたたび印刷職工を煩わせり。
一、著者かつて維新以来の政憲沿革を考え、「近世憲法論」と題して旧『東京電報』の紙上に掲げたるものあり。またその後「日本憲法論」と題し一昨年発布の新憲法に鄙見を加え、わが『日本』に掲げたるものあり。本篇は実にこれらの不足を補わんがために起草せしものなれば、付録となして巻末に添えたり。また昨年一月に「自由主義」と題して五、六日間掲載せしものも読者中あるいはこれを出版せよと恵告せし人あり。これまた『政論考』の補遺として巻中に挾入せり。
一、著者今日に至るまでその著述を出版せしことはなはだ少なし。往時かつて『主権原論』と言える反訳書を公《おおやけ》にし、一昨年に至りて『日本外交私議』を刊行し、昨年末に『予算論』と言える小冊子を出したるのみ。しかれどもこれみな反訳にあらざれば雑説のみ、較々著述の体を具えたるものは本篇をもってはじめてとなす。ただ新聞記者の業に在る者潜心校閲の暇なく、新聞紙を切り抜きたるままこれを植字に付したるは醜を掩うあたわざるゆえんなり。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から1字上げ]著者誌
  明治二十四年五月
[#改ページ]

    緒論

 冷は氷よりも冷なるはなく、熱は火よりも熱なるはなし、しかれども、氷にあらずして冷やかなるものあり、火にあらずして熱きものあり、いやしくも冷やかなるものみな氷なり、いやしくも熱きものみな火なりというはその誤れるや明白なり。湯にしてやや冷を帯ぶるものを見、これを指《さ》して水なりといい、水にして少しく熱を含むものを見、これを指して湯なりという、ここにおいて庸俗の徒ははなはだ惑う。湯の微熱なるものと水の微冷なるものとはほとんど相近し、しかれども水はすなわち水たり、湯はすなわち湯たり、これを混同するはそのはじめを極《きわ》めざるがゆえのみ。政治上の論派を区別するもまたこれに似たるものあり、民権を主張するもの豈《あ》にことごとく調和論派ならんや、王権を弁護するもの豈にことごとく専制論派ならんや、ただその論拠の如何《いかん》を顧みるのみ。仏国大革命の後に当たり、政論の分派雑然として生ず、当時かのシャトーブリヤン氏とロワイエ・コロラル氏とはほとんどその論派を同じくし、世評は往々これを誤れり、しかれども甲は保守派中の進歩論者にして乙は進歩派中の保守論者たり、何となればその論拠において異なるところあればなり。このゆえに政論の種類を知りその異同を弁ぜんと欲せば、まず政論の沿革変遷を通覧せざるべからず、いたずらにその名称を見てその実相を察せざるときは、錯乱雑駁なる今日の政界において誤謬に陥らざることほとんど希《まれ》なり。
 名実の相合せざるや久し、風節の衰うるまた一日にあらず、儒名にして墨行、僧名にして俗行、自由主義を唱道してしかして密《ひそ》かに権略を事とする者あり、進歩主義を仮装してしかして陰に功利を貪る者あり、理よろしく永久平和を唱うべき者また国防論を草するあり、理よろしく一切放任を望むべき者あえて官金を受くるあり、名目の恃《たの》むに足らざるやかくのごとし。この時に当たりて良民それいずくにか適従すべき、思うにその岐路に迷う者すこぶる多からん。店に羊頭を掛けてその肉を売らんというものあり、客入りてこれを需《もと》むればこれに狗肉《くにく》を与う、知らざる者は見て羊肉となし、しかして恠《あや》しまず、世間政論を業とする者これに類すること多し。
 帝国議会の選挙すでに終りを告ぐ、立憲政体は一、二月を出でずして実施せられん、世人の言うがごとく今日は実に明治時代の第二革新に属す、いかにしてこの第二革新は吾人に到着せしか、必ずそのよりて来たるところあるや疑いなし。天皇の叡聖にしてつとに智識を世界に求め盛んに経綸を行なわせたまうによるというといえども、維新以来朝野の間に生じたる政論の運動はあずかりて力なしというべからず。日本の文化はつねに上よりこれを誘導す、政論の運動、すなわち政治思想の発達は明治政府実にこれを誘起したり、しかれども維新以後の人民たる吾人は内外交通開発の恵みを受けて自ら近世の政道を発見し得たること少なしとせず、しかして今やよく立憲政体と相|支吾《しご》することを免る、これ吾人のいささか世界に対して栄とするに足るものなり。
 吾人はすでに若干の思想を有す、しかれども今日まではただこれを言論に発するを得るのみ、これを実行し得ることは今日以後にあり、今日以後はこれを実行し得るの途を有す、しかれどもはたしてこれを仕遂ぐるや否やは逆《あらかじ》め覩《み》るべからず、かつただこれを言論の上に発せんか、利弊いまだ知るべからず、しかれどもこれを実行の途に置くときはいかなる効果を生ずべきか、一念ここに至らば吾人は生平|抱《いだ》くところの思想に再考を費やすべきものあらん。上智の人はしばらく措き、中人以下に至りては必ず先入を主となすの思想を有す、しかれどももし自他の思想を比較し今昔の変遷を考量するときは、あるいはもってようやく己れの誤謬を知るを得べく、あるいはもっていよいよ己れの真正を確かむるを得べし、しからば吾輩のここに『近時政論考』を草する豈に無用の業ならんや。
 世に政党と称するものあり、今回当選の幸を得て帝国議会の議員となる人々は往々この党籍に在り、かかる人々はみな政事上に定見ありてもって党籍に入るものならん、しかしてその定見が必ず党議と相合するものなるべし、帝国議会の一員となれる人は豈に羊頭を見て狗肉を買うものあらんや。しかりといえども水の微冷なるものを見て湯と誤り湯の微熱なるものを見て水と謬ることはすなわちあるいはこれなしと言うべからず。いわんや、世に頑愚固陋の徒あり、衆民多数の康福を主張するを指して叛逆不臣の説となす、世に狡獪|姦佞《かんねい》の輩あり、国家権威の鞏固《きょうこ》を唱道するを誣《し》いて専権圧制の論となす、大識見を備うる者にあらざるよりは、それよく惑わすところとならざらんや。吾輩はあえて議員諸氏に向かいてこの編を草するにあらず、世の良民にして選挙権を有し読書講究の暇なき者のためいささか参考の資に供せんと欲するのみ。その選出議員が実地の問題に遭いて生平の持説に背くことなきか、選挙人たる者、沿革変遷の上より今日世に存する政論の種類を考え、もって選出議員の言動と比較せよ。
 吾輩は昨年のはじめ旧『東京電報』紙上において「日本近世の憲法」を草し、もっていささか維新以来政府の立法的変遷を略叙せり、今や議会まさに開け民間人士の実地に運動せんとするに際し、この編を草してもって民間の政論的変遷を略叙す、また時機に応じて前説の不足を補わんと欲するの意なり。
 天下もとより同名にして異質なるものあり、その原因を殊にしてしかしてその結果を同じくするものまた少なしと言うべからず。昔討幕攘夷の論盛んに起こるや、全国の志士群起してこれに応ず、これに反対して皇武合体を唱え開港貿易を説く者、少数といえどもなお諸方に割拠してもって一の論派たることを得たり。当時この二論派は実に日本の政界を支配したるものにして、百世の下、史乗にその跡を留む。しかれども今日より仔細にその事実を観察するときは、甲種の論派に入るもの豈に必ずしも勤王愛国の士のみならんや、あるいはふたたび元亀天正の機会を造り、大は覇業を企て小は封侯を思うものなきにあらず。乙論派を代表する者といえどもまた然り、世界の大勢に通じ、日本の前途を考え、もって世論の激流に逆らうものは傑人たるを疑うべからず、しかれども、皇武合体を唱うる者あるいは改革に反対する守旧の思想に出でたるあらん、開港貿易を説く者あるいは戦争を厭忌する偸安《とうあん》の思想に出でたるあらん。吾輩はこの点において古今政界の常態を知る、その心情を察せずしていたずらにその言論を取り、もって政界の論派を別つはすこぶる迂に似たり、しかりといえども当時に若干の同意者を得て、世道人心に感化を及ぼしたる説は、その原因のいかんを問わず、吾輩はこれを一の論派として算列せざるを得ず、けだしまた人をもって言を廃せざるの志なり。
 政治思想を言論に現わしてもって人心を感化するものは政論派の事なり、政治思想を行為に現わしてもって世道を経綸するは政党派の事なり。日本は今日まで政論派ありといえどもいまだ真の政党派はあらず、その名づけて政党と称するはみな仮称なり。吾輩はこの標準によりて本編を起草せり、ゆえに当時に在りて自ら政論家をもって居らざる人といえども、その説の多少政論に影響を及ぼしたる者は、あえて収めてもって一政論派の代表者となす。家塾を開きて業を授くる者あるいは必ずしも政論を教ゆるにあらず。しかれどもその門人にして政論に従事するあれば、これを採りて一の政論派となす、著書を出版して世に公売する者あるいは必ずしも政論を弘むるにあらず、しかれどもこの著書にして政治思想に感化を及ぼしたるあれば、これを採りて一の政論派となす、講談会を開き新聞紙を発する者必ずしも政論をもっぱらとするにあらず、しかれども世の政論に影響を及ぼしたるの跡あるものはこれを採りて一の政論派となす。しかしてかの自ら政党と称し政社と号するもののごときはもとより一の政論派たらざるべからず、思うにその目的は政論を弘めて人心を感化するよりも、むしろ一個の勢力を構造して諸種の欲望を達するにあるべし、しかれども吾輩はその裏面を見ることをあえてせず、ただ生平その機関たる新聞雑誌に言うところの政議を採りてこれを一の論派と見做《みな》し去らんと欲するのみ。
 西人の説を聞き、西人の書を読み、ここ
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