玄竜の幻覚においては、それはポプラの亭々《ていてい》として立つ広い並木路のように見える。泥だらけの下水は綺麗に水の澄んだ小川の流れのように思われる。そこでは盛んに蛙が口をそろえてぐわっぐわっと鳴き騒いでいるような耳を聾するばかりの幻聴を聞いた。その上風がひゅうひゅうと吹き荒んでポプラの枝がへし折れそうに見える。もはや彼の足は躓《つまず》いたりのめったり、水溜りにあやまって落ち込んだりしていた。でも彼は夢中になって這い上る。その時に突然足元の方で蛙共が、
「鮮人《ヨボ》!」
「鮮人《ヨボ》!」
 と騒ぎ出したように聞えたのである。彼は怯えたようにいきなり耳を塞いで逃げ出しながら叫んだ。
「鮮人《ヨボ》じゃねえ!」
「鮮人《ヨボ》じゃねえ!」
 彼は朝鮮人であるがための今日の悲劇から胴ぶるいしてでも逃れたかったのであろう。ところが突然彼の鼓膜が轟音を立てて爆発したように思われたが、不思議にも先の蛙共の音は消え失せ、何かしら急に辺り一面から不思議な音が聞え出した。それがだんだんと複雑に大きくはっきりと聞えて来る。いつの間にかもう何千何万の人々が唱え合ってでもいるような、南無妙法蓮華経、南無妙
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