雲が流れていた。その時約束通りに女流詩人文素玉が爽《さわや》かないでたちで現われたのである。彼女はその光景を見て驚いて立ち止ったが、直ぐ、大げさに手を拍ち腰をゆすぶってきゃあきゃあと笑いこけてから、
「おやおや、どうなさいましたの」
 と駆け寄って来た。が、玄竜は気でもふれたようにただじろじろと彼女を物珍しそうに見上げただけである。老婆は魂消《たまげ》たと云わぬばかりにぶつくさ呟きつつ台所の方へ消え失せた。文素玉はひとりで当惑してしまったが、やっと気を立て直し渾身《こんしん》の力をふりしぼって彼を抱き起した。彼は昨夜酔いつぶれて帰ったなり寝床へ俯伏せになっておーおーと泣く中に寝附いていたので、洋服着のままであった。詩人は彼の洋服についた埃をはたいてやりながら、「一体どうしたというんですの」と云った。「ええ、玄竜さん、今日は又何かの霊感でも得たようね。早く行きましょうよ、もう直ぐ時間になりますのよ」
 玄竜は痴者《しれもの》のように坐って気味悪げににたにた笑ってばかりいたが、その時ほんの少しの意識のかけらでも閃いたのであろうか、怪訝そうに首を長くして質ねた。
「何が?」
「おやまあ」彼女
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