た所なんだぞ。よう会えたな。全く六年振りじゃねえか、そうだ、妹の明子さんは元気か? 僕は今も明子さんのことを忘れていやしないぞ」
気の弱い田中は彼の口まかせに喋りたてる言葉にいい加減うんうんと肯きつつ、口を窄《すぼ》めて薬酒を少しばかり嘗めるふりをした。
角井もひとりで丁度二度目の盃を口に持って行くところだったが、明子の話が出て来たので吹き出してしまった。そしてそれだけでは足りないと思ったのかはははと声を出して哄笑をした。先程玄竜の噂をしている中に、彼は田中からこの男が彼の妹に無茶をして困ったということを聞かされたからである。玄竜はいつも田中のいない頃を見計って彼女を訪ねて来ては、田中のどてらに着替えいかにも主人顔で机に頑張っていて、当の彼が帰れば恰《まる》でお客でも迎えるような調子でこれは珍しいね等と云っていたという話だった。それも或る日の夕方のこと、田中は街のなかでひょっこり玄竜に会い、大変なことがあるからと持金をすっかりまき上げられた。そして後から帰ってみれば、玄竜は林檎やシュークリームをどっさり買って来て妹に無理矢理に食べさせながら、きききと悦んでいたのだ。角井はそれを思い
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