玉はいきなりそそくさと身をかわして入口の方へ行き、ドアを開け若い大学生を引張るようにして外へ出て行った。玄竜は打ち砕かれたように茫然と立ち尽してそれを眺めた。後の方では皆がきききと笑い合う声が聞える。ところが又三四分もしない中に、彼女は慌しく彼の方へ飛び込んで来て、「あたしの従弟ですの」とせき込みつつ小さく叫んだ。「芝居へ行こうと約束していたのをすっかり忘れていたんですの」
 そしてはっと思う間に、
「明日の朝行くわ」
 と耳元に囁いて再び飛んで出て行ったのである。
「待て、待て!」
 と、後から急に狼狽したように叫びつつ彼は手を振りながら飛び出した。だがもう外は暗い夜で二人の影はどこへ行ったのやら、既に杳《よう》として消え失せていた。

          三

「くそ忌々しい、畜生! 覚えとけ」
 等と、小説家玄竜は肩をすくめたまま何度もぶつぶつ呟きつつ、朝鮮人街で一等賑やかな鐘路通りをさしていかにも浮れたような足取りで歩いて行った。あの女郎奴までこの俺を莫迦にしている、少々ふざけているぞと彼は自分に云った。何だか大事な手中の玉を奪われたような気がしてならなかった。するといつものよ
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