うほどの意)になって行った。明治になって一層その傾向が強くなった。この事は芝居の大道具背景小道具等の変せんを見れば一目瞭然《いちもくりょうぜん》とするはずである。芝居にしても、荒唐無稽《こうとうむけい》な荒事《あらごと》から自然主義的な人情劇にかわり、明治大正には新劇という少しの芝居もしない自然そのままの芝居になってしまった。
幽霊の絵もこの類を漏れず、如何にも幽霊らしい、本当の幽霊とはどんな感じだろうという幽霊のかかれたのは応挙《おうきょ》以来だという事だ。この説の当否は別として、ともかくも応挙時代からという事だけは当っていようと思う。
ここにちょっと面白い例を引くと、西洋の天の使をかいたものの変遷を見ると、日本幽霊の画の変りかたとかなり面白い共通がある。
即ち初期ルネサンス時代(ヴァン・エック、アンゼリコ、等)の天の使には足がある、また崇厳な端麗な感じはどこともなくあるが、その扮装《ふんそう》は高貴な王女のようでともかく霊体のようにはかいてない。
ところがチントレットになってやや天人は地上的でなくなり、グレコになると、一層この世ばなれという事が殊《こと》に考案されてある。
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