》で非人情な妖怪の方がなんとなく幾分でも存在性が強いと思う。
尤も幽霊に出られてはかなわないが、幽霊に出られたよりも妖怪というものに出られた方がもっと、徹底的な恐怖を味う事と思う。妖怪はどうしても一種のニヒリストだ。
尤も狐狸《こり》妖怪といって、妖怪の或るものは多く狐狸その他のけものの神通力によって変幻する現象とされてある事もある。しかしまたそうでなく妖怪は本質から妖怪となっているものもある。一つ目、三つ目、大入道、見越入道等は狸の化けたのだとされる場合が多いが、前記のあかなめ等は本質的な妖怪らしい。
狐狸の化けたのでは御話しにならない、私のいうのは本質的妖怪の事で狐狸の事に関しては後項で私見をのべよう。
妖怪の存否とその起元
妖怪変化の起元は、元始人類が、他の巨大な動物、未知の動物、または自然の威力等に対して持った実感に基づくと思える。この事は私が今更《いまさら》言うまでもなく、定説となっているかもしれない。
ともかくも恐怖、人外の異常なるものに対する恐怖心は、人類以前の動物時代から持ち越しの本能となっていたものと思える。
だから人間は元始時代から既《す》
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