こわい、妖怪はむしろ可愛い気分があると答える。
なるほど狸《たぬき》の化ける三目入道や、見越し入道の類には可笑味《おかしみ》も可愛気もあるが、しかし一つ目小僧の如きものが戸外から帰って来た自分の部屋などにだまって坐《すわ》っていたらかなりこわいものだ。
私は幽霊などという事は無いと思うが、一種の「鬼気」という、主観上の事実は打消す事が出来ない。それは全然主観的なもので客観的には何物もないと知っていても、「鬼気」の感ずるものは外界にある。
幽霊がないと信じている自分がふと何かの調子で、「鬼気」を感ずる時、感ずる対象はどうしても、一種の「怪《もののけ》」である。
もののけとは、物の気、または物の怪であろう。ともかくも幽霊よりはもっと客観性に富んだ存在である。
私は一つ目小僧だとか、あかなめ[#「あかなめ」に傍点](深夜人のねしずまった時に浴槽《よくそう》の垢《あか》をなめに出る怪)だとかいうような一種の妖怪がふと、どこかに在《あ》り得るような感じがするものである。それは無論感じだけの話だが、私には幽霊などという合理的性質の化けものよりはむしろ、怪物は怪物らしいこの出鱈目《でたらめ
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