く事は好きである。しかしそれは話として、それを味うのである。私は御化けというものは民族的、または人類の一種の芸術的な作品、一種の詩だと前にも述べたが、一つ一つの怪談に表われている様々な技巧や、様々な空想や、実感やらを味う事がすきなのだ。
かなり技巧的なものもあれば本能的に実感的なものがある。実感的な奴は、ピリッと来るつまり、「怪」という一つの実感がよく掴《つか》んであって、またその「怪」の、感じの種類がピッタリ自分にも実感出来るものだったりすると、甚だ感心するのである。
こういう意味で、遊びを遊びとして楽しめば、乱神怪力を語ったとてあながち非君子とされなくってもすむだろうと思っている。
妖怪と幽霊の区別
幽霊とは人間の化けたもので妖怪とは人外《じんがい》の怪《かい》である。
幽霊は大てい、思いを残すとか、うらみをのこすとかいう、歴《れっき》とした理由があって出て来るのであるが、妖怪の方は、山野に出没する猛獣と等しく何らのうらみなしに、良民をなやまし、あるいはとって喰う等の残酷な事を行う。
人に、君は幽霊と妖怪とどっちが恐《こわ》いといって聞くと大ていは幽霊の方が
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