に似た犬か何かがスッと飛び出しでもすると、もう完全にその人は自己催眠に陥る、すると、かねて人に聞いたり、または画本などで見ていた、狐に化かされた男女のいろいろな狂態が頭に浮ぶ、常は忘れていたような事まで、無自覚の中に頭に浮んで来る。そこで、それを一つ一つ、自分で実行しなくてはならない命令を全く無意識の中に自己が自己にしている。この事の証拠は狐に化かされた人の化かされた時にする狂態が必ず、一致している。一つの法則を出ない、即ち、田を河の如くに渡るとか、糞尿《ふんにょう》のために入って風呂《ふろ》をつかうような事をするとか、馬糞を牡丹餅《ぼたもち》として食うとか、皆同一規である。これは自己の智識記憶がその暗示となって、それをしなくてはならなくなってしまうからの事である。
其処《そこ》に折よく第三者が来て、「彼奴《あいつ》は狐に化かされている」といって、背中をどやしてくれると即ち催眠状態が醒《さ》めるのである。
狐つきはやはり一種の一時的狂気であるが、狐に化かされるのよりは永続的で、また催眠状態ではなく本当に気がちがうのである。
ただ普通の狂気と異《ちが》うのは、その人の狂気前に見聞き
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